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今日の国語

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芥川16

では解説にはいりましょう。

 

 これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給ひけるを、 かたちのいとめでたくおはしましければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、 まだ下臈にて いみじう泣く人のあるを聞きつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしましける時とや。

 

 急にリアルな話になりました。

 「これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給ひけるを、」とは、「二条の后」は物語中に登場するお姫様で藤原高子のこと。「いとこの女御」は藤原明子(「あきらけいこ」と読む。染殿の女御、文徳天皇妃で清和天皇の母)のこと。人間関係がややこしくなるといけないので、整理しておきましょう。

 ここに登場する藤原氏は、いずれも「藤原北家」とよばれる藤原氏で、藤原氏の中でも最強でした。その中に「冬嗣(ふゆつぐ)」という人物がおりまして、この人が凄かった。どう凄かったのかはおいときますが、日本史の教科書にも登場するくらい凄かった、とだけ言っておきましょう。

 冬嗣には子どもが大勢おりまして、その中に長良、良房という人がおりました。
 長良には、国経、基経、高子(たかいこ)の3人の子どもがありました。
 良房には明子(あきらけいこ)という子どもがおりました。余談ですが、明子は文徳天皇の女御で後に清和天皇を産みます。染殿の后と呼ばれました。しっかりと藤原氏隆盛に貢献してますね。

 はい、これで登場人物は全員でました。

 業平にさらわれたお姫様は「高子」であり、彼女は長良の娘、国経、基経の兄弟です。この物語の主人公といっていいでしょうね。「いとこの女御」は良房の娘、明子のこと。高子はいとこのもとにお仕えするかたちで朝廷にあがったということです。

 人物はちょっとおいといて、語義に移ると、「仕うまつるやうにて」の「まつる」は補助動詞で謙譲語。明子にお仕えするのですから、明子を敬意の対象として謙譲語が使われています。よくわかんない、と言う人は、敬語法はいずれ説明しますので、いまは気にしないでください。

 「ゐ給ひける」の「給ふ」も敬語表現で、こちらは尊敬語。主語の高子を敬意の対象として尊敬語が使われています。これも、わからないと人はほうっておいてください。

 文末の「を」は単純な接続で解釈しておきましょう。「~したところ」と訳します。

 まとめると「これは、二条の后が、いとこの女御のもとにお仕え申し上げるように(なって)いていらっしゃったところ」としておきましょう。途中に「なって」を入れておいたのは、逐語訳ではどうにも動きがとれないからです。

 

 「かたちのいとめでたくおはしましければ、」とは「かたち」は見た目のこと。「容貌」と訳されることが多いようです。「おはしましければ」の「おはします」は「あり」の尊敬語で「~でいらっしゃる」と訳します。敬意の対象は主語である「二条の后(=高子)」です。「おはしましければ」は「已然形+ば」を使用してあることにも注意してください。「容貌が非常にすぐれていらっしゃったので」とやくします。

 「盗みて負ひていでたりけるを」は、急に主語が変わります。盗んだの業平ということはすでにわかってますから、「そんなこと、わかってるでしょ」ということで、主語は、変化したにも関わらず省略されています。主語の問題は、古文の面倒くさいところの一つです。

 文末の「を」は原因(確定条件)で解釈しておきましょうか。「盗んで背負って出て行ったので」となります。この「を」は結構訳しにくい言葉です。

 「御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、 まだ下臈にて いみじう泣く人のあるを聞きつけて」とは「堀川の大臣」は基経のこと。基経と国経の兄弟が妹の高子を探しまわったのです。

 「まだ下﨟にて」とは二人が身分が低かったということ。「いみじう泣く人のあるを聞きつけて」とは、二人がひどく泣いている人がいるのを聞きつけて、ということ。ここでのポイントは、「まだ下﨟にて」が「いみじう泣く人云々」とは関係がないということに気付くかどうか、ということでしょう。「まだ下﨟にて」は挿入的に用いられています。これを混同すると、わけがわかんなくなるかもしれません。

とどめてとりかへし給うてけり」とは「とどむ」は「とどめる、ひきとめる」で訳しておきましょう。なんかしっくりしないんですがね。「とりかへし給うてけり」は「給う」は尊敬語で、敬意の対象は基経、国経兄弟。「てけり」は完了「つ」の連用形+過去「けり」の終止形。「~してしまった、~したのだった」と訳します。まとめると、「ひきとめて取り返しなさったのだった」となります。

 「それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしましける時とや。」とは「かく」は「このように」ということ。「まだいと若うて」は、主語がないので、誰が「若かった」のかはっきりしませんが、兄弟3人全員を示すにせよ、基経・国経を示すにせよ、まぁ文章中で大した違いはありませんし、兄弟ならば一人が若ければ、残りも大体若いものでしょうから、ここはあえて主語はいれずに、ぼかしておきましょう。

 「ただに」は原形は「ただなり」。形容動詞です。ここでは「ただの人」の意で解釈しておき、まだ朝廷内での地位をもっていなかった、と理解しておきます。訳は「それを、このように鬼といったのであった。まだとても若くて、二条の后が朝廷内で地位を有していらっしゃらなかった時のこととか」となります。


 以上、解説してきましたが、これは「芥川」の裏話ですね。本当は鬼なんていなくて、業平が高子をさらって、それを基経・国経兄弟が取り返してきた、のが真実だ、というわけです。

 たしかにねぇ、芥川って伊勢物語の代表選手みたいなポジションにあるんですが(だから教科書にも掲載されるのです)、実は似たような話がいくつかあるんです。

 次回はそのへんのことを、お話しましょう。今日はここまで。

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