シンプルに
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1-4 文型
英語では基本文型(五文型)がやかましく言われていますが、残念ながら、日本語(国語)では、そうした事項はほとんど扱いません。どうしてなのでしょうか?理由は私にもよくはわからないのですが、一応のことは最低限知っておくべきでしょう。なぜなら、すごく便利だからです。
説明を始める前に付言しておきますが、私は文法の説明に際して、英文法のあり方も参考にします。学術的には問題とされるところもたくさんあります。専門家の立場からすれば、でたらめにしか思われないかもしれません。説明されえないところも、時々表面化します。例えば「主語」。日本語に主語は存在するか否か、これは未だに解決されていない問題です。外国人の方に日本語を教えている先生の中には、日本語では主語という発想は有害だと考えておられる方もいるようです。
でも私にとって、学術的に正しいか否かは、あまり問題ではありません。なぜなら、問題を解くに際して、有効か否かこそが問題だからです。役に立つなら、それはそれでいい、「河清百年を待つ」つもりはありません。これが私のスタンスです。そのつもりでお読み下さい。
・単文
英語で最も基本的なのは、第1文型SVです。日本語で言えば、主語と述語だけの文。「花が咲いた」がその例です。第一文型の次に、英語では第2文型(SVC)、第3文型(SVO)ときますが、日本語にあっては、これほど厳密な区分はないと考えます。ですから、第3文型(SVO)に代表させておきます。「彼はリンゴを食べた」がその例です。
第4文型、第5文型は、国語の問題を考える上で、さして必要とは思えませんので、省略します。
すると、日本語の文型の基本中の基本は、第1文型(SV)と第3文型(SVO)の2種類ということになりますが、それで結構です。あまりにも単純すぎるのでは、と考えるむきもあるかもしれませんが、私はこれだけで十分と思っています。
・重文
「重」は「かさなる」時は「チョウ」、「重い」時は「ジュウ」と読むことになっている(中国語の発音に由来します)ので、「チョウブン」と読むのが正しいのですが、「ジュウブン」と認識している人も多いことでしょう。
発音談義はともかく、重文とは、単文と単文とが結びつけられた文のことです。
「雨が降ったので、傘をかりてきた」とか、「ようやく仕事がおわったので、気持ちが少し楽になった」とかが、それです。
重文では、要素として(単文をいくつ結びつけてもいいのですから)最低2つあるわけで、これが面倒のもとになります。確かに単純な内容、日常的な内容なら別段問題はないのですが、内容がやや複雑になってくると、どこにウェイトをおけばいいのか、わからなくなってしまうのです。
感覚対象を秩序づけ普遍的に理解しようとする思惟の活動が自我意識を形成しているのだとすると、睡眠状態においては感情や意志の活発な働きが思惟の活動を妨げるので、自我の一貫性が保証できないことになる。
これは平成20年追試の問3選択肢①です。非常にややこしい文であり、逐一確認していくと、疲れてしまいます(そして時間を不要に使うことになってしまいます)。
こんなときこそ、文法知識が重要になるのです。
この文は大雑把にいって3要素(3つの文)から成立しています。
A:感覚対象を秩序づけ普遍的に理解しようとする思惟の活動が自我意識を形成しているのだとすると、
B:睡眠状態においては感情や意志の活発な働きが思惟の活動を妨げるので、
C:自我の一貫性が保証できないことになる。
この中で、確実に抑えなければいけないのは、Cです。
どうしてCを抑えなければいけないのか。それは、「そういうものだから」です。説明しましょう。
「雨が降ったので、遠足は中止になりました」と聞いて、生徒達はがっかりしたとしましょう。
生徒達はどうしてがっかりしたのでしょう?「雨が降ったから」ですか?それとも「遠足が中止になったから」ですか?もちろん「遠足が中止になったから」です。平常授業の時に雨が降ったとしても、これほどがっかりはしないでしょう。
もうひとつ。
「万一雨が降ったなら、遠足は中止です」という連絡がありました。この連絡の中で重要なのは「万一雨が降ったなら」でしょうか?それとも「遠足は中止です」でしょうか?
「万一雨が降ったなら」と答える人も多いでしょうが、正解は「遠足は中止です」の方です。
この連絡にあって「遠足は中止になる場合がある」ということが、何よりも優先されなければ、意味がわからないからです。あなたの携帯に友達から、「万一雨が降ったら」とメールが来たなら、「雨が降ったら何なの?」とちょっといらいらしませんか?
でも「遠足は中止です」だけなら、文自体の意味は明白なはずです。その上で、「あいつ、頭おかしいんじゃないの?」とか「何のこと?」とか思ったりするわけです。でもそれは文の責任ではありません。シチュエーションの問題なわけです。
つまり重文にあっては、まる(句点)に近い文が、何よりも優先されるべき文なのです。
単文と単文とを結びつけるときに、接続助詞が頻用されますが、接続助詞を利用して説明するならば、「接続助詞のついている文は、中心になりえない」といってもよいでしょう。
そして重文にあって中心になっている文のことを「主文」、それ以外の文を「従文」といいます(用語は今後の説明で使いますので、覚えておいてください)。
重文の説明はこれで終わりですが、もう少しお話しましょう。
引用しました平成20年追試の問3ですが、選択肢の中から主文だけをとりだしてみましょう。
①……自我の一貫性が保証できないことになる。
②……自我の連続性が揺るがされることになる。
③……自我が一貫性を保つ力を失うことになる。
④……自我の連続性が保たれないことになる。
⑤……自我はかえって安定した一貫性を乱されることになる。
「自我の一貫性」が①と③と⑤、「自我の連続性」が②と④。出題者は、「自我」を問題に設定し、「一貫性」「連続性」をとりあげ、主文を5つ準備したあとに、文字数を稼ぎながら選択肢を作ったのではないかと思われます。
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
プロフィール
ブログ内検索
最古記事
P R