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今日の国語

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2012センター漢文本試 問2 問3

 今日は内容読解に入ります。
  
文法(句法)から考える                          
 
 問題を引用します
 
問2 傍線部A「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死」の返り点の付け方と書き下し文との組合せとして最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 傍線部Aの一文を見ますと、第二句に「為冥官所追議」とありますね。
 これは「為(人)所(動詞)」という句法(構文)で、「(人)の(動詞)する所と為る」と読み、「(人)に〜される」と訳します。いわゆる「受け身」です。
 この句法を知っていれば、「為冥官所追議」は「冥官の追議する所を為る」と読み、「冥官に追議された(される)」と訳すことがわかります。
 
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫(か)みて人を殺し、冥官の追議する所と為(な)り、法は死に当たる
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫みて人を殺さんとし、冥官の所に追議を為すは、死に当たるに法(のっと)る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫まれ殺されし人、冥官と為りて追議する所は、死に当たるに法る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇の螫むこと有らば殺す人、冥官の追議する所の為(ため)に、死に当たるに法る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫まれ殺されし人、為に冥官の追議する所にして、法は死に当たる
 
 これだけで、解答は①とわかります。
 
 
対応から考える                              
 
 この問題は別方向から考えることもできます。
 課題文を引用します。
 
A 「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死。蛇前訴曰『誠有罪、然亦有功、可以自贖』。冥官曰『何功也』。蛇曰『某有黄、可治病、所活已数人矣』。吏考験、固不誣、遂x。
B 良久、牽一牛至。獄吏曰『此牛触殺人。亦当死』。牛曰『我亦有黄、可以治病、亦活数人矣』。良久、亦x。
C 久之、獄吏引一人至。曰『此人生常殺人、幸免死。今当還命』。其人倉皇妄言亦有黄。冥官大怒、詰之曰『蛇黄・牛黄皆入薬、天下所共知。汝為人、何黄之有。』左右交訊、其人窘甚曰『某別無黄。但有些慚惶。』」
 
 問題は課題文Aから出題されています。
 ここで漠然とでも、ABCの関係に眼を注いで、AとBとは同系列のはなし、Cはそれとは異なる話、とだけでも理解できたならば、「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死」はBの「此牛触殺人。亦当死」に対応することが理解されると思います。
 Bの大意は「この牛は人を殺した(のだから)死刑である」です。
 よって「有蛇〜」の部分も、「この蛇は人を殺した(のだから)死刑である」となるはずです 
 また「有蛇螫殺人」は「此牛触殺人」に対応します。Bは「此の牛触(つきて)人を殺す」となっていますから、「有蛇螫殺人」は「有蛇、螫、殺人」ときれるはずです。
 すなわち訓読は「蛇有り、螫みて人を殺す」となります。
 
 また「法当死」は「亦当人」に対応するのですから、「法当死」は「法、当死」ときれることもわかります。
 すなわち訓読は「法(は)死に当たる」となるわけです。
 以上を総合して考えると、解答は①となります。
 
 
次も同じパターン                             
 
問3も同じパターンです。
問題を引用します。
 
問3 傍線部B「誠有罪、然亦有功、可以自贖」の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 句法で見れば、この文のポイントは「可以」(「以て……(す)べし」)であり、「……できる」の意です(「可」はその他に「〜してよい」の意味もあります)。
 でも、これだけでは正解にはたどりつけません。
 
 対応関係でみてみましょう。
 傍線部Bは蛇のセリフの部分です。牛のセリフを見ると、「我亦有黄、可以治病、亦活数人矣」とありますが、これは次の蛇のセリフ「某有黄、可治病、所活已数人矣」に対応しているようです。
 つまり、傍線部Bに対応する部分は、牛のセリフには存在しないことになります。
 これはどういうことでしょうか?
 
 答えは簡単です。傍線部Bの部分は物語の展開上、「あってもなくても、どっちでもいい」部分だということです。
 こういうところは深読みしてはいけません。
 前半を見ると、「誠有罪、然亦有功」とありますが、「有罪」と「有功」とが対になっています。罪もあるけれど、功績もある、といっているのです。
 「可以自贖」の「贖」は「あがなう」と読みます。「罪をあがなう」ということです。
 以上をまとめると、「罪もあるけど功績もあり、(それで)あがなうことができる」、つまり「罪と功績とで帳消しになる」といっているのです。
 これだけで解答は②であることが理解できると思います。
 
① 実際には罪がありますので、またすぐれた仕事をして自分で罪を帳消しにすべきなのです。
② たしかに罪はあるのですが、私には功績もあって自分自身で罪を償うことができます。
③ 結局は罪があるのですが、仕事の腕前によっておのずと罪は埋め合わされるのです。
④ もし罪があったとしても、当然私の功名によって自然と罪が許されるようになるはずです。
⑤ 本当は罪があるのですが、それでもあなたの功徳によって私の罪をお許しいただきたいのです。
 
対応関係が判断できることは重要なことなのです
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