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今日の国語

シンプルに

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複文、修飾−被修飾の関係

・複文
 文が修飾語として文中に含まれている状態にある文をいいます。ややこしいですが、簡単なことです。例えば、「昨日から始めたレポートがやっと完成した」というのがそれです。「昨日から始めた」が「レポート」にかかる修飾語として存在しています。

 要するに文が修飾語として含まれていれば、「複文」というのです。

 複文の扱い方は、次に述べる「修飾-被修飾の関係」に準じますので、ここでは省略します(複文という概念は、修飾-被修飾の関係に飲み込まれてほとんど使われない(=ここではどうでもいい概念である)ことも付言しておきます)。


・修飾-被修飾の関係
 これまで述べてきました単文・重文・複文というのは、いわば「文の骨格を探る」考え方です。文というものはダラダラとしたものではなく、メリハリのあるものであるものだから、正しく強弱を見分けましょう、ということです。

 骨があるのならば肉も存在するわけで、肉に相当するのが修飾語です。

 修飾語は使いこなせれば非常に便利なのですが、複雑に用いれば、読者を混乱させる原因にもなります。受験で用いられる文には、この種の修飾語過多の文が少なくありません。現代文が嫌われる一因です。

 たび重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った子どもたちは、ふと戸外での遊びを思い出すことによって、管理者会のコスモロジーとは異なるコスモロジーに参入することになる。

 平成21年本試評論問4の選択肢①の文です。
 この文の修飾語を示しておきますと、以下のとおりです(下線部が修飾語です)。

 たび重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った子どもたちは、ふと戸外での遊びを思い出すことによって管理者会のコスモロジーとは異なるコスモロジーに参入することになる。

 これら修飾語を保留(=とりあえず省略)して考えてみると、この複雑な文は、非常に単純になります。

 →子どもたちは、コスモロジーに参入することになる。

 この場合は選択肢の文章ですが、選択肢の文章が修飾語でごちゃごちゃしている場合は、まずこのレベルまで落として(=単純化して)、相互比較すべきでしょう。参考までに、問4の選択肢を修飾語を外した状態で提示しておきます。

  ①子どもたちは、コスモロジーに参入することになる。
  ②子どもたちは、可能性を手にすることになる。
  ③子どもたちは、コスモロジーを身体性のうちに見いだそうとしている。
  ④子どもたちは、遊びを楽しめるようになっている。
  ⑤子どもたちは、熱意を失ってしまっている。

 どうでもいいことかもしれませんが、問題作成の途中過程が見えてきますね。「子どもたち」と「コスモロジー」との関係に着目し、正解を作る。あとはそのバリエーションを作り、それぞれに修飾語を与え肉付けをする。ただそれだけのことです。

 それと、これも注意しておかなければいけないのですが、修飾語を保留する際、妙に修飾語の範囲を気にする人がいますが、過度に厳密にする必要はありません。アバウトで結構です。

 要は「ごちゃごちゃしていてわかりにくい」を、とりあえず整理することが目的です。修飾-被修飾の関係を用いるということは、その「整理」の部分にあたるわけで、これはひとつの「方法」にすぎません。私たちの目的は「正解を得る」ことにあるわけで、極論すれば「正解を得る」ための方法は何でもいいわけです。「現代文が得意」ならば、こんな方法を用いる必要は全くないのです。

 「方法」は「方法」、「目的」は「目的」。方法と目的とは、きちんと区別されなければなりません。もし混同して、方法に過度に敏感になりすぎるならば、その代償は時間浪費という結果を導き出します(かといって、アバウトすぎるのも困るのですが)。

 本論に戻りましょう。

 修飾-被修飾の関係で面白いのは、修飾-被修飾の関係は、容易に主語-述語の関係に転化されるということです。

  彼が本を持ってきてくれた。その本は……

 こういう文があったとしましょう。2つの文が提示されていますが、この2つの文はもちろん、ひとつにまとめることができます。

  →彼が持ってきてくれたその本は……

 1つにまとめる時、片方の文章は修飾語として、もう片方に含まれてしまうのです。
 中学校で初めて関係代名詞を学んだときのことをおもいだしてください。初めて関係代名詞を学んだとき、これと同じような文章操作をやりませんでしたか?

 その経験を、今度は現代文で生かすのです。

 さて、このこと(=修飾-被修飾の関係は、容易に主語-述語の関係に転化される)が何を意味するか。もう一度、前掲選択肢を確認しておきましょう。

 び重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った子どもたちは、ふと戸外での遊びを思い出すことによって管理者会のコスモロジーとは異なるコスモロジーに参入することになる。

 「たび重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った子どもたち」は、逆にこうも言えますね。
  →「子どもたちは、たび重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った」 

 現代文が苦手という人は、これをやってしまうのです。そして次にこういう問いを自らに発します。
  →果たして「子どもたちは、たび重なるゲームのモデルチェンジに関心を失った」のか?

 こうして課題文に戻って該当箇所を探し始めます。部分を積み重ねることによって、全体へのアプローチをはかる方法、といってよいのでしょうが、これでは時間がかかりすぎます。

 続けましょう。

  ふと戸外での遊びを思い出すことによって、 
   →(子どもたちは)「ふと戸外での遊びを思い出す」のか?
   →「ふと」なのか?(←これは「本当にどうすればいいかわからない」人がやります)

  管理者会のコスモロジーとは異なるコスモロジー

 これは、主語-述語に転化されることはないでしょう。なぜなら転化すれば「コスモロジーは管理者会のコスモロジーとは異なる」となり、なお一層、何が何だかわからなくなるからです(ここは対比で処理するところなのですが、省略します)。   

 問4の選択肢全文をあげることはしませんが、いずれも同じ構造をとっています。ということは、ひとつの選択肢で確認事項が3つあったとして、全部で5つの選択肢ですから、合計の確認事項は15個、しかもセンターは1問につき、長くても3分以内に片付けなければ終わりませんので、180秒を15で割ってみると……1つの確認事項につき、12秒!!

 無理ですね。

 しかも、この方法は文を読んでいるように見えますが、実は読んでいません。
 文のパーツを確認しただけで全体を見る視点が欠落している、いいかえると、文をバラバラにしただけだからです。
 無理な時間設定の上に、不安定な結論、しかもこれに本人の情熱が加わったとすれば、現代文が大嫌いなるのは当然です。情熱は嫌悪に変わるでしょうから。

 修飾-被修飾の関係は、実は奥の深い「方法」なのです。

 

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