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今日の国語

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平成17年度本試評論3

問題を読み込む                         

 国語といえば、長文(ここでは課題文)を読み込んで、その内容がわかれば、問題も自ずから解ける、と考えている受験生は多いことと思います。おそらく、大半の受験生はそうでしょう。

 通常、学校で勉強している国語は、いかに長文を読み解くか、ということに中心をおいていますから、そう考えるのももっともです。

 では、どうして受験問題では点数がとれないのでしょうか?

 課題文の読解が甘いから?それもあるかもしれません。
 課題文を読み込む時間が不足するから?それもあるでしょう。試験には制限時間がありますから。
 
 でも、私の経験からすれば、理由は違うところにあるようです。


 国語が苦手である理由、それは「問題文の読みが甘いから」です。
  ※ここでは問題のベースとなる長文を「課題文」、問題の部分を「問題文」と区別しています。

 問題文とは、いわば客の注文です。

 いくら凄腕の料理人でも、注文を聞き違って料理を出せば、客からクレームがくるのは当然です。
 ましてや、注文をろくに聞いていないなんて、言語道断です。

 でも、受験国語では、客の注文ともいうべき、問題文の読みが甘い生徒は非常に多いのです。
 それでは、いくら課題文を読み込んだところで、正解にはたどり着けません。

問2 傍線部「カメラのレンズをとおしてこの現実、この世界を見ること」とあるが、「カメラのレンズ」の機能の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①カメラのレンズは、現実のさまざまな事物や出来事を、個別的にではなく連続的に写し取る。
②カメラのレンズは、現実のなかから被写体を選び出し、そのありのままの姿を正確に写し取る。 
③カメラのレンズは、無限の現実から特定の対象を切り取ることにより、現実の世界を否定する。
④カメラのレンズは、連続する世界のなかから特定の部分を写し取り、それ以外の部分を排除する。
⑤カメラのレンズは、人間の手で自由に操作されるかぎりにおいて、人間の眼と同等の能力を持つ。

 問題文を読むとき、もっとも注意してほしいのは、「何が求められているか」ということです。
 今回、求められているのは「「カメラのレンズ」の機能の説明」です。ここに注意をしなければいけません。

 「カメラのレンズ」の機能の説明。国語が苦手という人にとっては、頭の痛い問題かもしれません。
 でも、私たちはすでに一度、「カメラのレンズ」を扱っているのです。そう、対比ですね。
 「カメラのレンズ」の機能、それはずばり、「見ることの死」です。

 では、「見ることの死」とは何か。それは、この段落に書いてあるはずです。
 なぜなら、この課題文がそういう構成になっているからです。

 →「人間の眼」と「カメラのレンズ」が対比になっていました。
  →次の段落からしばらく「人間の眼」の説明が続きました。
   →そして「カメラのレンズ」の説明になりました。

 傍線がひかれているのは、この「カメラのレンズ」の段落です。
 そして求められているのは「カメラのレンズ」の機能です。
 「カメラのレンズ」つながりで、この段落の読み込みが重要であるのは、言うまでもないでしょう。

 

※本題から少々外れますが、問題を解く際には、傍線のある段落から確認を開始するのがセオリーです。
 今回は、本文の構造から該当段落に注目すべき、と説明していますが、そこまで明確に判断がつかなくても、段落から見ていくのは絶対の約束事です。
 詳細はのちほど述べます。

 さて、段落を読んでいきましょう。

 それとはまさしく相反して、Aカメラのレンズをとおしてこの現実、この世界を見ることは、こうした人間の眼の無用な動きを否定し、おびただしい剰余の眼がひとつの視点に注がれ、集中するように抑圧することであった。

 この段落は一文で構成されています。
 そして、傍線Aは一文の主語です。

 確認していきましょう。
 「カメラのレンズをとおしてこの現実、この世界を見ること」とはどういうことか。
 3点指摘されていますね。

  ・こうした人間の眼の無用な動きを否定し、
  ・おびただしい剰余の眼がひとつの視点に注がれ
    →おびただしい剰余の眼をひとつの視点に注ぎ込ませ
  ・集中するように抑圧すること

 一部、扱いやすいように変換しておきました。意味のズレはないはずです。
   ※今回は3つにわけましたが、第2と第3とを一つにまとめて考えても問題ありません。

 さて、この3点の内容を確認すると、ほぼ同内容が繰り返されていることがわかりますか?
 (これくらいは自分で確認してください)

 3点がほぼ同内容だとすれば、どれに代表させるか。
 この場合は第2の「おびただしい剰余の眼がひとつの視点に注がれ」に着目しましょう。

 理由は何か?
 簡単です。前の段落に、このフレーズに対応する箇所があるのです。

 前の段落を再度引用しましょう。

 このように人間の生きた眼差しはこの世界の表面を軽やかに滑り、たえず運動をつづけており、なにかに見入ることによる視線の停止、非連続はあるかなきかの一瞬にすぎず、それが意識された瞬間には視線はすでに新たな運動を始めているのである。言葉をかえれば、そうした無用、無償の眼差し、おびただしい剰余の眼の動きに支えられて、われわれはこの現実とのたえざる連続を保ちながらこの世界のなかに生きつつあるのである。

 「おびただしい剰余の眼の動きに支えられて、われわれはこの現実とのたえざる連続を保ちながらこの世界のなかに生きつつあるのである。」


 この一文を組み替えて、「おびただしい剰余の眼(の動き)」を中心(主語)にして考えてみますと、「おびただしい剰余の眼の動き」は「われわれ」が「生きる」のに必要なもの、となりますね
  ※主語と述語を抜き取ると「われわれは……生きつつある」になります。それを応用しました。

 剰余の眼(の動き)があるから、われわれは生きられる。

 ということは、剰余の眼がなければ……生きられない、すなわち死ぬってことでしょうか?

 ここで最初に指摘しておいた「カメラのレンズ=見ることの死」が生きてきます

 まとめましょう。
 カメラのレンズは、私たちの「剰余の眼」を「ひとつの視点に注ぎ」込ませる「機能」があり、それは「見ることの死」を招き寄せる機能でもある、となりますね。
 これが含まれている選択肢こそが正解です。

 もちろん、正解は④です。

 今回は選択肢の読みは省略しました。選択肢が簡単だったからです。
 そのうち、ややこしいのが登場するでしょうから、選択肢の読み方はそのときにでも説明します。

 今日は問題文をよく読むことが、正解への第一歩であることを確認してください。

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