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今日の国語

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2012立教大学文学部 問E

 段落を優先させるか、対比を優先させるか、難しい問題です。
 センター受験で考えるならば、基本方針としては段落優先の方がいいとは思いますが、それも絶対ではありません。
 そのあたりのことも考えながら、次の問題に進みましょう。
 
 
比喩について                               
 
(E) ―――線部(3)について。「甚しく少なく自分を食いちぎる仕事」とあるが、筆者はそれをどのようなものに喩(たと)えているか。本文中の表現を抜き出して記せ。
 
 求められていることを整理しておきましょう。
 問題が求めているのは、「筆者はそれをどのようなものに喩(たと)えているか」ということです。
 「喩えているか」というのは、比喩の問題ですね。
 
 余談になりますが、比喩について少しお話しておきましょう。
 私は問題を解くとき、〔同義反復・具体例・対比〕の3つをメインの方法として使用します。
 評論文の場合は、大抵これでいいのですが、小説の場合、もうひとつ、方法が追加されます。
 それが〔比喩・象徴〕です。
 問題文に比喩がまじっているのに、しらんぷりして、「〜はどういうことか、説明しなさい」というのは、よくある話です。ここで比喩の存在に気がつかなければ、なんとなく周辺を探すはめに陥ります(=時間が不足します)。
 比喩は常に意識しておいて、適宜、判断されなければなりません。
 
 比喩と判断したなら、次はどうするか。
 比喩というのは、「もののたとえ」です。ですから当然のことながら、喩えるモノと喩えられるモノと、2つの要素がそこには存在しているはずです。
 小さな子どもが、「あの雲、アイスクリームみたい」と言った場合、喩えるモノは「アイスクリーム」、喩えられるモノは「あの雲」なわけです。
 もうひとつ。「やくざは社会の癌である」という場合は、喩えるモノは「癌」、喩えられるモノは「やくざ」なわけです。
※「〜のようだ」「〜みたい」という比喩(この場合、前者)のあり方を「直喩法」、こうした表現を使わない比喩(この場合、後者)のあり方を「隠喩法」といいます。
 
 ここまでできれば、もうひとつ、喩えるモノと喩えられるモノとの共通性まで明らかにできるといいですね。アイスクリームの場合ですと「形」、やくざの場合ですと「有毒性、有害性」といった具合です。
 
 さて本題に戻ります。
 この問題は比喩であり、喩えられるモノを探すのが求められていることです。
 要するに、相手方を探せ、ということです。
 相手方を探すには、もう片方の分析が必要です。次に「甚しく少なく自分を食いちぎる仕事」を分析しましょう。
  
 
修飾ー被修飾の関係                            
 
 「甚しく少なく自分を食いちぎる仕事」という言葉は、ひとめで理解するには、ちょっと長すぎます。
 それに、「甚だしく少なく自分を食いちぎる」など、抽象表現も入っています。
 そのため、国語が苦手な人は「甚だしく少なく自分を食いちぎる」の方に目がいって、そこでうんうんうなることになります。
 でも、最初に見るべき箇所はそこではないんです。
 見るべき箇所は「仕事」です。
 
 なぜ「仕事」を見るべき箇所に、言い換えれば「中心」と考えるのか。
 それは「仕事」が被修飾語だからであり、「甚だしく〜」は修飾語だからです。
 修飾ー被修飾の関係の場合、優先されるべきは「被修飾語」であることは、既に言いました。
 解答は、必ず「仕事」に関連しているはずです。まずはここを押さえましょう。
 
 
傍線部を含む一文から段落、対比へ                     
 
 次に傍線部を含む一文を確認します。
 
 それを学問上のポレーミクに従うのに比べるなら、甚しく少なく自分を食いちぎる仕事である。
 
 ポレーミクとは論争のこと(注にあります)。主文は「甚だしく〜である」の部分。ただし、主語は省略されています。主語は「それ(は)」です。
 「それ」とは何か。課題文をみなければわかりません。傍線部を含む一文を引用します。
 
 ところが僕はいつかポアンカレーの『科学者と詩人』を読んだ。そしてそんな好きなポアンカレーがちっともおもしろくなかった。その本は何でも、亡くなったアカデミーの会員たちについて著者がいろいろな会合の席でした演説や雑誌に書いたものを集めて出来ていた。それらは、その物故した人たちの残した業績がどんなに大きかったか、それらの人たちが亡くなったいま我々はどんな大きな損失を感じなければならないかを主として説いていた。それらのいわば非常に優れた哀悼の言葉は、ポアンカレーの場合ある程度まで止むをえなかったのであろうが、亡くなった人々を褒めることに主眼をおいていた。そして何よりも先に当のポアンカレーは、アカデミーの最高の椅子に坐っている人であり、老人であり、そして彼の今までに打ち立ててきた学問上の業績は、彼が今その功績をたたえている物故した数々の科学者たちのそれに比べて優るとも劣らないのである。こういうポアンカレーにとって、亡くなった人たちの業績を褒めたたえることは困難な仕事でない。それを学問上の(注3)ポレーミクに従うのに比べるなら、(3)甚しく少なく自分を食いちぎる仕事である。学問上のポレーミクが、論敵の攻撃よりも自分自身の攻撃に懸っているのに反し、論敵の手で見事に暴露された自分自身の無力をどこまで逆に切り捌いて行くかに懸っているのに反し、甚しく余裕のある仕事である。ポレーミクにあるものは素樸であり、賞讃にあるものは優雅である。僕はポアンカレーのこの本を読んで人を褒めるということは何とむずかしいことかと感じ、俺は人をポアンカレーのように褒めることをしまいと考えた。
 
 「それ」の内容が「亡くなった人たちの業績を褒めたたえること」であることは、理解されると思います。
 つまり、問題文は、ポアンカレーにとって「亡くなった人たちの業績を褒めたたえること」は「甚しく少なく自分を食いちぎる仕事である」が、「甚だしく〜仕事」を比喩で表現している部分を指摘しなさい、といっているのです。
 
 ここで1つの等式が成立します。 
 
 ポアンカレーにとって「亡くなった人たちの業績を褒めたたえること」=「甚しく少なく自分を食いちぎる仕事」
 
 この一文は「AはBである」のタイプですから(A、Bがちょっと長いだけです)、A=Bの式が成立するわけです。
 ということは、「甚だしく〜」は、「ポアンカレーにとって「亡くなった〜」」と同じ内容、ということです。
 
 ここで対比に移動します。
 ポアンカレーは対比において、面白くない(=否定)とされる方でした。
 そして「甚だしく少なく自分を食いちぎる」というのも「文字通りの哀悼の言葉ではない、素朴ではない、中味がつまっていない、身を打ち込んでいない」に通じる内容です。
 つまり「甚だしく〜」は否定される側のことを表現した内容なのです。
 
 ですから、まずはこの段落の比喩を探し、比喩がなければ、対比を通してという条件のもとに、段落を越えて課題文全体を探せばよい、ということになります。
 
 さて、段落を探してみましょう。
 そもそも比喩表現自体がないですね。
 ということは、この段落には答えはないということです。
 
 対比のラインで考えましょう。
 ポアンカレーと同じく否定される方をあげておくと、他にツルゲーネフがいました。
 ツルゲーネフの段落を探してみます。
 
 ツルゲーネフとドストエフスキーとを比べてみると、僕はドストエフスキーの方が生活を叩き上げることを知っていたと思う。僕の考えによればツルゲーネフは到底ドストエフスキーに及び難い。ドストエフスキーは自分の肉体で物語をこさえた。ツルゲーネフは小説をこさえるために生活した。ドストエフスキーの作にはどこにもドストエフスキーの血が湛(たた)えられている。ツルゲーネフのには、ツルゲーネフの何かは湛えられていようが血は湛えられていない。ツルゲーネフならどこからひっくり返して読んでもいいのが、ドストエフスキーではそう行かない。ドストエフスキーはほかのものに手を出さなかったがツルゲーネフはあれやこれやと手を出した。ツルゲーネフには芸術だけが問題であって、芸術というものがそれあっての物種(ものだね)であるところの肝腎の人間生活はあまり問題でなかった。だから彼は彼の以前の制作から脱却して次ぎの制作へ行った。しかし以前の制作を生んだ彼の以前の生活から手を切ることをしなかった。だから彼の制作は次々と現われても、それを裏づける彼の生活が発展したということにならない。ガラス窓のガラスの色を次ぎから次ぎへと取り換えたに過ぎない。そいつは溜り水だ。そいつの打ち方は臭い。じきにたまらなくなる。で、そうなれば、作家がいくら大作を次々に書いたところでその作家の価値が高まったとはいえなかろうと思うのだ。そういうのではつまり、作家が制作に身を打ち込むということが本当に実現されないと思うのだ。制作に生活を引きずられるのでなしに、生活を発展させるためにどこまで制作を削り落すかが大切だと考えるのだ。 
 
 この段落を探すと、ツルゲーネフの仕事を論じる中に「そいつは溜り水だ」という比喩表現があります。
 「そいつ」の内容は、「ガラス窓のガラスの色を次ぎから次ぎへと取り換えたに過ぎない」です。
 でも、これ自体が比喩ですので、地の文(喩えられる方)を探さなければなりません(比喩をそのままの形でいじれば、誤読しかねません)。
 課題文のこの段落より「そいつ」の内容は、「以前の制作を生んだ彼の以前の生活から手を切ることをしなかった」です。
 これはツルゲーネフの「仕事」のあり方をいっているものです。
 よって、「仕事」のあり方を述べており、かつポアンカレーと同じく否定されている方の内容ということで、正解は「溜り水」となります。
 
 
むやみに段落を越えない                          
 
 今回扱った問題も、段落を越えて解答を導きだしました。
 でも、段落を無視したわけではありません。
 段落を尊重しながら、そこに必要なデータは存在しないと判断したから、段落を越えてデータを集めにかかったのです。
 また、むやみに課題文を探しまわるのではなく、対比を通じて、ピンポイントにデータを探しました。
 
 今回、私のとった手段は、非常にまわりくどいものと思われたかもしれません。
 国語が得意な人ならば、こうしたことはナチュラルに脳内で行っていることでしょう。
 でも国語が苦手な人は、たとえ面倒でも、しばらくは段落を中心にデータ収集を行ってほしいと思います。
 そのほうが、きっと高得点への早道だと思います。
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