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今日の国語

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2012立教大学文学部 問G

 問Fでも見られたように、この問題は対比中心に組まれています(ここに採用した理由です)。
 今回もやはり対比です。
 
 
対比から入ります                             
 
 問題を確認しましょう。
 
(G) ―――線部(5)について。「本当の賢さを持った人たちから笑われ憐まれることのないような考え方」とはどのような考え方か。その説明として最も適当なもの一つを、次記各項の中から選び、番号で答えよ。
 
 「本当の賢さを持った人たち」についてです。
 これも全体の対比を確認した時に、扱いました。再掲します。
 
・賢い人……車輪の発明など、感謝状なし、仕事の価値を知っている、(下記の逆)
・(そうでない人)……文字となって残る仕事だけが仕事と思っている、(感謝状あり?)
 
 基本はこれだけです。
 
 
段落と具体例                               
 
 段落もみておきましょう。
 
 僕のひとり考えでは、仕事の価値はそれがどこまでそれを取り囲む人間生活の中に生き返るかにある。車輪の発明者を誰も記憶していない。だが車輪を使わない人間が一人もいないくらいに彼を記憶している。誰も車輪の発明者に感謝していない。しかし人間の残らずが車輪を使用しているということよりも立派な感謝状は一枚もないに違いない。我々はしばしば、歴史一般の中に掻き消されている力学の歴史、医学の歴史等々を忘れている。同様に芸術の歴史の中にしばしば掻き消されている芸術に関する学問の歴史を忘れている。また例えば演劇の歴史にしても、その中に撚り込められて素人には見えない演出の歴史、建築の歴史、照明の歴史等々を忘れている。忘れているどころか僕なぞはだいたい少しも知らない。そしてその無知からして、我々自身の文字となって残るような仕事だけが仕事だと思い込み、それがそれとして人の眼に映るために千万無量のお蔭を蒙っている眼に見えない仕事、瞬間に消えてゆくような仕事を仕事だとも思わないようになる。それは間違っており、無知であるために不遜であるところのものであり、仕事の価値を真実に知っており、それゆえこういう輩からは永久に顧みられないような仕事を一生の仕事としてコツコツと築いてゆくような賢い人たちからは憐まれるところのものであろう。こういう(5)本当の賢さを持った人たちから笑われ憐まれることのないような考え方こそ、僕は、我々の持つべき仕事に対する素樸な考え方だと考えている。
 
 具体例が多くて主張と明確には区分されないまま議論が進められています。
 車輪の話、演劇の歴史など具体例がしばらく続きますが、そこから急に議論が抽象化され「その無知からして〜」と話が展開されます。
 具体例は常に主張と結びついているはずなので、では主張はどこにあるのかといえば、「無知」の一言にかかっていきます。つまり、私たちは先人たちの業績について「無知」だといっているだけなのです。(はじめから、そう言えばいいのに、という声がきこえてきそうですが、これは作者の文体の問題なので、どうしようもありません。読者側で捕捉していくほかないのです)。
 ですから、この段落の中心は「その無知からして〜」以降ということになります。もちろん、具体例を無視していいということではありませんが。
 

選択肢の確認                               
 
 選択肢の確認に入りましょう。

1 一生にわたって、長い時間をかけてコツコツと築きあげた仕事こそ意味のある仕事であり、その評価は後世に委ねればよいとする考え方。
 →「長い時間」云々は関係ないですね。逆の「短い時間で築き上げた仕事」は(そうでない人)に対応しませんから。また評価問題は「賢い人」にとって関係のないことです。「感謝状なし」ですから。ダメ。
 
2 仕事の価値は、それがどれだけ人間生活の営みに還元されたかによって問われるものであり、自分の名前が残るかどうかは問題にしないような考え方。
 →わるくはありません。前半部は課題文「仕事の価値はそれがどこまでそれを取り囲む人間生活の中に生き返るかにある」に対応するものでしょう。後半部「自分の名前が残るかどうかは問題にしない」は間違いではないのですが、正確には「問題にすらならない」です。それに、この部分は具体例の部分です。さてどうしましょう。
 このへんのきわどさが、難しいところです。他に適切なものがなければ、正解としてもよいでしょうが、ここでは判断しないほうがよいようです。保留。
 
3 歴史のなかで掻き消されてしまった名もない人々の尽力に感謝し、眼に見えない仕事を誠実にこなせる人間こそ賢人であるとする考え方。
 →前半部「歴史のなかで掻き消されてしまった名もない人々の尽力に感謝し」からして違います。課題文は「歴史のなかで掻き消されてしまった名もない人々の尽力」を知らないがゆえに不遜となり云々となり、感謝の問題には入りません。
 「感謝」は「誰も車輪の発明者に感謝していない」の「感謝」から来ているのでしょうが、この言葉は、その前の「だが車輪を使わない人間が一人もいないくらいに彼を記憶している」に対応する言葉で、「彼を記憶していまるが、感謝していない(実のところ、記憶していない)」の意味で使われています。つまり、本来の「感謝」の意味で使っているものではありません。ダメ。
 
4 文字となって残るような仕事だけが仕事だと思い込んでいた自分の無知と不遜に気づき、それを改めることによって、仕事の真価に近づこうとする考え方。
 →前半部は問題なし。課題文そのままです。後半部「仕事の真価」は、「賢い人」は「仕事の価値を真実に知っており」とあり、これの言い換えとして「(賢い人は)仕事の真価を知っている」とすることができます。すなわち
 「仕事の真価を知っている賢い人に近づこうとする」→「仕事の真価に近づこうとする」
としてよいでしょう。
 あるいは「賢い人」の修飾語「こういう輩からは永久に顧みられないような仕事」に対応すると考えても通じます。「こういう輩」とは「賢くない人」のことですから、本当の仕事を知らない人をさします。本当の仕事を知らない人に永久に顧みられないような仕事、といえば、真の仕事のことになります(対比ですから)。
 「真価に近づこうとする」とは次に続く「(真の仕事を)一生の仕事としてコツコツと築いてゆく」ことに対応すると判断されます。正解は4です。
 保留していた2は、ここで落ちます。
 
5 よりよい仕事をすることが人間的価値を高めることにつながるという信念をもって自分の仕事に邁進(まいしん)し、周囲の評価に頓着(とんじゃく)しない考え方。
 →前半部からして課題文とは方向性が異なりますね。ダメ。
 
 
 この問題は、大きくは対比で抑え、あとは段落をよく確認することで解答できます。
 ただし選択肢に少しばかりきわどいところがあり、難しいのはむしろこちらの方でしょう。
 
 もっとも、ひねってあるとはいっても、全てにわたってひねってあるということは、あまりないのではないでしょうか。
 経験上からいえば、ひねってあるのは、正解ともうひとつの、大体2つですね。
 
 志望校の過去問をよく見て、こういう状況があるのかどうか、確認しておいてください。
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