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今日の国語

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芥川17

 業平が高子をさらった事件は、『大鏡』にも掲載されています。「陽成院」の項目です。

五十七代 陽成院 貞明  
 この后の宮の、宮仕ひしそめ給ひけむやうこそおぼつかなけれ。いまだ世ごもりて御座しける時、在中将しのびて率てかくし奉りたりけるを、御せうとの君達、基経の大臣・国経の大納言などの、若く御座しけむほどのことなりけむかし、取り返しに御座したりける折、「つまもこもれりわれもこもれり」とよみ給ひたるは、この御ことなれば、末の世に、「神代のことも」とは申し出で給ひけるぞかし。されば、世の常の御かしづきにては御覧じそめられ給はずや御座しましけむとぞ、おぼえ侍(はべ)る。もし、離れぬ御仲にて、染殿宮に参り通ひなどし給ひけむほどのことにやとぞ、推しはかられ侍る。およばぬ身に、斯様のことをさへ申すは、いとかたじけなきことなれど、これは皆人の知ろしめしたることなれば。いかなる人かは、この頃、古今・伊勢物語など覚えさせ給はぬはあらむずる。「見もせぬ人の恋しきは」など申すことも、この御なからひのほどとこそは承れ。末の世まで書き置き給ひけむ、おそろしき好き者なりかしな。いかに、昔は、なかなかに気色(あることも、をかしきこともありける物』とて、うち笑ふ。気色ことになりて、いとやさしげなり。  

 解説が面倒なので、訳を掲載しておきましょう。保坂弘司『大鏡 全現代語訳』(講談社 1981年1月)の56〜58頁です。  

 この陽成天皇のご母后、すなわち二条の后宮高子さまは、清和天皇より九つ年上でいらっしゃいました。后が二十七歳の年に、この陽成院をお産み申し上げなされたのです。元慶元年正月に后にお立ちになって、中宮と申されました。時にお年が三十六歳でした。また元慶六年正月七日に皇太后宮にお進みになりましたが、このとき四十一歳でした。この后がはじめて入内なさった事情というのが、はっきりしません。まだ深窓で育っていらっしゃったときに、在原業平の中将がこっそり高子の后をどこかにお連れしてお隠し申したのを、御兄君たちの基経の大将、国経の大納言らが、まだお年若でいらっしゃったころのことだったようですが、とりかえしにいらっしゃった際、業平の中将が「武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまこもれりわれもこもれり」とお詠みになったという話は、この高子の后のことですから、後年になって、高子さまが東宮の女御として藤原氏の氏神大原野神社にご参詣のとき、お供の中にいた業平が、「大原や小塩の山もけふこそは神代のことも思ひいづらめ」という歌を高子の后に詠んで奉ったのです。若い業平との間柄がこんなわけでしたから、世間一般のなかじっかな親たちのお世話では、天皇のご寵愛をうけることにおなりにならなかったのではないかと思われます。それで、あるいは、お親しい従姉妹どうしの仲として、文徳天皇の皇后、染殿の宮明子さまの御方にお出入りしていらっしゃったころのころ、清和天皇がこの高子さまに愛情をおもちになったというようなことでもあろうかと、推測されるのです。私のような、およびもつかぬ下賎な身で、こんな秘事まで申すのは、たいへんおそれ多いことですが、それはみなさんのご存知のことですから、差し支えもありますまい。どんな方だって、近ごろ、『古今集』や『伊勢物語』なんかは、きっと詠んで知っていらっしゃるでしょう。『古今集』や『伊勢物語』に出ている、あの「見ずもあらず見もせぬ人の恋しきはあやなくけふやながめくらさむ」などという歌も、このお二人が親密だったことのものと承っています。こんなことを、ご自分で、後世にまで書いて残しておかれたというのは、おそるべきその道の物好きですね。それにしても、なんとまあ、昔は、今よりはかえって情趣のあることも、おもしろいこともあったものですなあ」といって笑う世継の様子は、一段とすぐれて見えて、こちらが気恥ずかしくなるくらい立派やかです。  

 太字の箇所が、芥川関連箇所です。『伊勢物語』と比較しておきますと、

  ・高子の入内した状況が未詳と明言されている  
  ・業平は、高子を取り返される時、「武蔵野は」の歌を詠んだ。

の二点ですね。その他、業平と高子との関係がいろいろと記述されていますが、おいておきましょう。

 さて、後者の「武蔵野は」の歌ですが、これは『伊勢物語』第12段に掲載されています。

 昔、男ありけり。人の娘を盗みて、武蔵野へ率て行くほどに、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、「この野は盗人あなり」とて、火つけなむとす。女わびて、
  武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
 とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率て往にけり。

 芥川と比較してみると……全然違うじゃん。  整理しておきましょう。

  ・逃げた先が違う(芥川ではなく、武蔵野になっている)
  ・追いかけた人が違う(基経らではなく、「国の守」になっている)
  ・捕まってる(芥川では捕まっていない)
  ・しかも女を放置して逃げてる!!(放置なんてとんでもない)
  ・火をつけられそうになってる(……比べようがない)
  ・「武蔵野は」の歌がある(これは『大鏡』にはある)

 あと、男は逃げてしまっているのに「つまもこもれりわれもこもれり」って何?と、突っ込みたい気分ですね。大鏡のいうとおり、この歌を業平の歌としておきたいところですが、そうすると第12段の物語は崩壊するし……なんなんでしょ、これ。

 もうひとつ、『今昔物語』にも似たような話があります。

今昔物語 巻27 在原業平中將の女、鬼にはるる語 第七
 今は昔、右近中將在原業平と云ふ人有りけり。極じき世の好色にて、世に有る女の形美しと聞くをば、宮仕人をも人の娘をも見殘す無く、員を尽して見むと思ひけるに、或る人の娘の形・有樣、世に知らず微妙しと聞きけるを、心を尽して極じく假借しけれども、「止事無からむ聟取をせむ」と云ひて、祖共の微妙く傳きければ、業平の中將力無くして有りける程に、何にしてか構へけむ、彼の女を密かに盗み出だしてけり。 其れに、忽ちに將て隠すべき所の無かりければ、思ひ繚ひて、北山科の邊に旧き山庄の荒れて人も住まぬが有りけるに、其の家の内に大きなるあぜ倉有りけり。片戸は倒れてなむ有りける。住みける屋は板敷の板も無くて、立ち寄るべき樣も無かりければ、此の倉の内に畳一枚を具して、此の女を具して將て行きて臥せたりける程に、俄かに雷電霹靂してりければ、中將大刀を抜きて、女をば後の方に押し遣りて、起き居てひらめかしける程に、雷も漸く鳴り止みにければ、夜もふけぬ。  而る間、女、音爲ざりければ、中將恠しんで、見返りて見るに、女の頭の限と、着たりける衣共と許殘りたり。中將奇異しぐ怖しくて、着物をも取り敢へず逃げて去にけり。其れより後なむ、此の倉は人取爲る倉とは知りける。然れば、雷電霹靂には非ずして、倉に住みける鬼のしけるにや有りけむ。然れば、案内知らざらむ所には、努々立ち寄るまじきなり。况や宿せむ事は思ひ懸くべからずとなむ、語り傳へたるとや。

 こちらは現代語訳を準備しておりませんので、そのままでお願いします。

 相違点を指摘しておきますと……
  ・女が「或る人の娘」で片付けられており、朝廷関連の記述がない
  ・女が結婚させられそうになっている
  ・逃げた場所が北山科になっている
  ・女を押し込めたあばら屋が、やたら詳しく説明されている
  ・女の死に方がリアル(頭部と衣服のみが残されている……)
  ・オチが説教くさい(知らんとこにはちかよるな!! 宿泊なんてとんでもない!!)

 共通点は……「男が女を盗んで、失敗した」、これだけですね(笑)。女は取り返されたり、鬼に食い殺されたり……災難です。

 芥川、第12段、今昔物語の3つの記事を並べてみると、なんとなく推測されることがありますね。並べてみましょう。

  1 男の逃げた先なんて、どうでもいいんじゃないの?
  2 女は男のもとから離されたってことは間違いなさそう
  3 要は男が女をさらい損なったというだけで、
  4 あとは話し手次第でアレンジされてるんじゃないの?  

 こんなとこですかね。

 まぁ、冷静に考えてみると、業平が高子を盗んだということは、在原氏と藤原氏とのガチンコの喧嘩になりますよね。しかも高子は後に清和天皇産んでるほどの人物。その上、探しにきたのが、いくら若手とはいえ、基経。こりゃ、ガチガチですな。(何だかキューバ危機みたい(笑))

 そんな緊張感あふれる状況がですね、果たして情報公開されたんですかね?業平の手口はこうで、どこどこに逃走して、何時何分逮捕、お姫様の身柄は確保した、なんて、公開されたとは思えない。そんなことしたら、両家の喧嘩がおさまりつかなくなってしまう。

 とすりゃ、隠密裏に片付けたんだろうな、と思いません?若い二人が間違いをおかしたってことで、全部秘密にされてしまう。無かったことにされてしまう。

 でも、こうした事件は話題にのぼりやすい。

 「業平様が高子さまを盗んだんですって」
 「ええ〜、それ、かなりやばくない!?」
 「やばいにきまってるでしょ 高子さまは基経さまたちが発見したらしいけどね」
 「じゃ、最悪の大喧嘩はないわよね……ところで、どうやって盗んだの?」
 「そんなの知る訳ないでしょ!! 下手に聞こうもんなら、とんだとばっちり食らうわよ」
 「それもそうね、業平さま、無事かしら……」
 「わかんないわよ だって誰も聞けないもん 誰に聞いていいかもわかんないしね」

 ま、勝手に想像して書きましたが、話のスタートはこんなもんだったのではないでしょうか?後は、話し手の気分次第……。

   さて、芥川はこのへんで終了しましょう。お疲れさまでした。最後に鬼の話をあげておきます。参考までに。

日本三代実録 光孝天皇 《卷五十仁和三年(八八七)八月十七日戊午》
 十七日戊午。今夜亥時、或人告。行人云。武徳殿東縁松原西、有美婦人三人、向東歩行。有男在松樹下、容色端麗、出來與一婦人、携手相語。婦人精感、共依樹下。數剋之間、音語不聞。驚恠見之、其婦人手足、折落在地、无其身首。右兵衞右衞門陣宿侍者、聞此語往見、无有其屍。所在之人、忽然消失。時人以爲、鬼物変形、行此屠殺。又明日可修転經之事。仍諸寺衆僧被請、來宿朝堂院東西廊。夜中不覚聞騒動之聲、僧侶競出房外。須臾事静、各問其由、不知因何出房。彼此相恠云。是自然而然也。」是月。宮中及京師、有如此不根之妖語、在人口卅六種、不能委載焉。
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芥川16

では解説にはいりましょう。

 

 これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給ひけるを、 かたちのいとめでたくおはしましければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、 まだ下臈にて いみじう泣く人のあるを聞きつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしましける時とや。

 

 急にリアルな話になりました。

 「これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給ひけるを、」とは、「二条の后」は物語中に登場するお姫様で藤原高子のこと。「いとこの女御」は藤原明子(「あきらけいこ」と読む。染殿の女御、文徳天皇妃で清和天皇の母)のこと。人間関係がややこしくなるといけないので、整理しておきましょう。

 ここに登場する藤原氏は、いずれも「藤原北家」とよばれる藤原氏で、藤原氏の中でも最強でした。その中に「冬嗣(ふゆつぐ)」という人物がおりまして、この人が凄かった。どう凄かったのかはおいときますが、日本史の教科書にも登場するくらい凄かった、とだけ言っておきましょう。

 冬嗣には子どもが大勢おりまして、その中に長良、良房という人がおりました。
 長良には、国経、基経、高子(たかいこ)の3人の子どもがありました。
 良房には明子(あきらけいこ)という子どもがおりました。余談ですが、明子は文徳天皇の女御で後に清和天皇を産みます。染殿の后と呼ばれました。しっかりと藤原氏隆盛に貢献してますね。

 はい、これで登場人物は全員でました。

 業平にさらわれたお姫様は「高子」であり、彼女は長良の娘、国経、基経の兄弟です。この物語の主人公といっていいでしょうね。「いとこの女御」は良房の娘、明子のこと。高子はいとこのもとにお仕えするかたちで朝廷にあがったということです。

 人物はちょっとおいといて、語義に移ると、「仕うまつるやうにて」の「まつる」は補助動詞で謙譲語。明子にお仕えするのですから、明子を敬意の対象として謙譲語が使われています。よくわかんない、と言う人は、敬語法はいずれ説明しますので、いまは気にしないでください。

 「ゐ給ひける」の「給ふ」も敬語表現で、こちらは尊敬語。主語の高子を敬意の対象として尊敬語が使われています。これも、わからないと人はほうっておいてください。

 文末の「を」は単純な接続で解釈しておきましょう。「~したところ」と訳します。

 まとめると「これは、二条の后が、いとこの女御のもとにお仕え申し上げるように(なって)いていらっしゃったところ」としておきましょう。途中に「なって」を入れておいたのは、逐語訳ではどうにも動きがとれないからです。

 

 「かたちのいとめでたくおはしましければ、」とは「かたち」は見た目のこと。「容貌」と訳されることが多いようです。「おはしましければ」の「おはします」は「あり」の尊敬語で「~でいらっしゃる」と訳します。敬意の対象は主語である「二条の后(=高子)」です。「おはしましければ」は「已然形+ば」を使用してあることにも注意してください。「容貌が非常にすぐれていらっしゃったので」とやくします。

 「盗みて負ひていでたりけるを」は、急に主語が変わります。盗んだの業平ということはすでにわかってますから、「そんなこと、わかってるでしょ」ということで、主語は、変化したにも関わらず省略されています。主語の問題は、古文の面倒くさいところの一つです。

 文末の「を」は原因(確定条件)で解釈しておきましょうか。「盗んで背負って出て行ったので」となります。この「を」は結構訳しにくい言葉です。

 「御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、 まだ下臈にて いみじう泣く人のあるを聞きつけて」とは「堀川の大臣」は基経のこと。基経と国経の兄弟が妹の高子を探しまわったのです。

 「まだ下﨟にて」とは二人が身分が低かったということ。「いみじう泣く人のあるを聞きつけて」とは、二人がひどく泣いている人がいるのを聞きつけて、ということ。ここでのポイントは、「まだ下﨟にて」が「いみじう泣く人云々」とは関係がないということに気付くかどうか、ということでしょう。「まだ下﨟にて」は挿入的に用いられています。これを混同すると、わけがわかんなくなるかもしれません。

とどめてとりかへし給うてけり」とは「とどむ」は「とどめる、ひきとめる」で訳しておきましょう。なんかしっくりしないんですがね。「とりかへし給うてけり」は「給う」は尊敬語で、敬意の対象は基経、国経兄弟。「てけり」は完了「つ」の連用形+過去「けり」の終止形。「~してしまった、~したのだった」と訳します。まとめると、「ひきとめて取り返しなさったのだった」となります。

 「それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしましける時とや。」とは「かく」は「このように」ということ。「まだいと若うて」は、主語がないので、誰が「若かった」のかはっきりしませんが、兄弟3人全員を示すにせよ、基経・国経を示すにせよ、まぁ文章中で大した違いはありませんし、兄弟ならば一人が若ければ、残りも大体若いものでしょうから、ここはあえて主語はいれずに、ぼかしておきましょう。

 「ただに」は原形は「ただなり」。形容動詞です。ここでは「ただの人」の意で解釈しておき、まだ朝廷内での地位をもっていなかった、と理解しておきます。訳は「それを、このように鬼といったのであった。まだとても若くて、二条の后が朝廷内で地位を有していらっしゃらなかった時のこととか」となります。


 以上、解説してきましたが、これは「芥川」の裏話ですね。本当は鬼なんていなくて、業平が高子をさらって、それを基経・国経兄弟が取り返してきた、のが真実だ、というわけです。

 たしかにねぇ、芥川って伊勢物語の代表選手みたいなポジションにあるんですが(だから教科書にも掲載されるのです)、実は似たような話がいくつかあるんです。

 次回はそのへんのことを、お話しましょう。今日はここまで。

芥川15

歌の続きです。岩波によれば高崎正秀先生が、この歌について面白いことを言っているらしいのです。というのは、

「古今集・雑上の源融の歌「主(ぬし)やたれ問へど白玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ」に対する返歌という形で詠まれたものだろうと推論している。」

といってるんです。白玉が落ちてたんですかね、ご主人(持ち主)は誰なんだ?と問うてみても白玉は何もいわない(当たり前ですが)。何も言わない分だけ、この白玉がかわいそうに思えてくる、というのがこの歌の意味です。

 この歌の返しとして「白玉か何ぞと人の問ひしときつゆと答へて消えなましものを」が詠まれたとすれば、白玉かな、一体何なんだろう?と問われたとき、わたしは露ですよ、と答えて消えてしまえばよかったな、と解釈するんですかね?

 高崎先生の著作を調べたいけど、手元に無いので見れません。残念!!

 ということで、この歌おわり。そうそう、追加ですが、片桐先生は、この歌は業平の歌ではないんじゃないの?と疑っておられます。

 

 物語の続きです。芥川の話は以上で終わりですが、追加資料みたいなのがくっついているので、それも紹介しておきましょう。

 

 これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給ひけるを、 かたちのいとめでたくおはしましければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、 まだ下臈にて いみじう泣く人のあるを聞きつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしましける時とや。

 

 解説は明日にしましょう。今日はここまで。

芥川14

歌をわすれてました……歌物語なのに


白玉か何ぞと人の問ひしときつゆと答へて消えなましものを


 旺文社「全訳古語辞典」によれば「白玉」は真珠とのこと。でも岩波古典文学大系では「あの人があれは白玉か何かでしょうかと……」と「白玉」を「白玉」そのまんまで訳してます。ここでは真珠にしておきましょう。

 「何ぞ」とは「何なんだ?」ということ。「白玉か」とあわせれば、「(それは)真珠ですか?一体何なのでしょう?」となります。

 「消えなましものを」の「まし」は反実仮想、英語でいうところの仮定法です。「……すればよかったのに」と訳します。ちなみに「消えなましものを」の「な」は完了「ぬ」の未然形です。訳は「消えてしまえばよかったものを」となります。

 あと、この歌では「縁語」が指摘されえます。具体的にいえば、ここでは「露」と「消ゆ」が縁語です。では「縁語」って何?

 ベネッセ「全訳古語辞典」では、「主として和歌の修辞技巧のひとつ。一首の歌の中のあることばと、意味や音声の上で密接に関連することば」とあります。う~ん……。

 この説明だけだとわかりにくいかもしれませんので、捕捉説明。まず縁語というのは、何らかの特徴のある単語ひとつの性質を示すものではありません。2つ以上の単語の関係を示したものです。

 詳しく説明しておきましょう。縁語の前提として、最初に言葉のグループ分けがあるんです。そしてそのグループ分けは歌とは無関係に成立しています。「露」は「消える」ものですから、「露」と「消ゆ」は同一グループとみなされます。この同一グループに属する単語が一つの歌に登場した時、それらの単語は「縁語」と呼ばれるのです。この場合は「露」と「消ゆ」が縁語になります。わかります?

 面倒なのは、この縁語の全体像がどうにも見えにくいことです。グループ分けがどうにも見えにくくて、全体像がとらえにくい。一体何と何とが、同一グループになっているのか、わからない。ベネッセは具体例を示しているので、いくつか引用しておきますと、〔岩ー苔〕〔霧ー晴る〕〔涙ー流る・水〕などとあります。そして露も示されていますが〔露ー秋・命・置く・葉〕とされており、「消ゆ」がない。曖昧ですね。

私が〔露ー消ゆ〕が縁語といっているのも、どの資料もここが縁語といっているからですしね~(納得はしていますが)。

 

 ま、縁語はこれくらいにして訳しておきましょう。

 

「(あれは)露ですか?何なのでしょうか?」とあなたが尋ねたとき、「露ですよ」と答えて(露のように)消えてしまえば(死んでしまえば)よかったものを……。

 

 ひとり取り残されたのが悔しくて悲しくて、もうどうしようもない。やはり男は死ぬほど苦しんでいるのですね。

 

 この歌については、もう少し解説しておくべきことがあるので、続きます。

芥川13

やうやう夜も明けゆくに、 見れば率て来し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。

  白玉か何ぞと人の問ひしときつゆと答へて消えなましものを

 

 「やうやう夜も明けゆくに」とは、「やうやう」は普通は「徐々に」「しだいに」と訳されます。有名なところでは、「枕草子」第1段ですね。

 「春は曙。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」

 「ベネッセ全訳古語辞典」から訳を引用しておきます。

 「春は夜がほのぼのと明けようとするころ(がよい)。しだいに白くなっていく山際の空が、少し明るくなって、紫がかっている雲が細く横になびいているのは(趣深い)。」

 これは「しだいに」でよいでしょう。

 でも、芥川のここでは「しだいに」よりも「やっとのことで」「どうにか」と訳すのがよいでしょう。前に「はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに」とありましたね。男は「早く夜が明けてくれ」と願っているわけです。これを受けて、「やっとのことで」とくるわけです。

 「やうやう」に「やっとのことで」の訳があるのか?あります。例文を引用しておきます。旺文社「古語辞典」からです。

 やうやうとして、穴の口までは出でたれども、え出でずして、たへかたきことかぎりなし(宇治171)((僧は)やっとのことで、穴の口までは出たけれども、(外へは)出ることができないので、苦しいことはこの上ない)

 ちなみに、ベネッセの「全訳古語辞典」も同じ文を引用しています。

 ここの訳は「やっとのことで夜も明けてゆくのだが」となります。「に」は逆説でとりました。理由は後述します。

見れば率て来し女もなし」は「已然形+ば」が使われていますね。ここは偶発条件「~すると」で訳します。訳は「見ると、連れてきた女もいない」となります。なぜ「女も」であり、「女が」でないのか?理由はわかりません。もしかすると原文は「率て来し女なし」だったかもしれません。それが時代が下るにつれ、テキストが乱れて「女も」になったのかもしれません。でもあえてテキスト問題を無視して深読みしておくと、(雷が騒がしい夜で何事も無いように男は願っていたはずです。そして夜が明けた。何事も無かったのです。でも無かったのは事件だけではありませんでした。女の姿もなかったのです。)と、こう解釈しておくと、「女も」と「も」が使用されている理由が一応説明できます。正しいかどうかはわかりません。テキストを確認していけばよいのでしょうが、今回はそこまではやりません。

 「に」を逆説に解釈した理由ですが、これも男の願いを中心に考えての判断です。男は何事も無いように願っていました。そしてそれはかなえられました。ようやく夜があけたのです。しかし肝腎の願いは果たされませんでした。その願いとは、女を守りきることです。男は女を守ろうとして、あばら屋に女を押し込めたのです。でも守りきれなかった。これがこの場面の状況です。すなわち前半部「やうやう夜も明けゆく」は男の願いがひとつかなえられたことを示します。そして後半部「見れば率て来し女もなし」は男の願いがかなえられなかったことを示します。このように男の願いを中心に整理しなおしてみると、前半と後半とが逆になっていると判断されるので、「に」を逆説と解釈したのです。

足ずりをして泣けども、かひなし」とは、「かひなし」は「どうしようもない」ということ。最重要単語のひとつです。絶対に覚えておきましょう。「足ずりをして」ですが、一般には「地団駄を踏む」と訳されます。ベネッセ「全訳古語辞典」は「足を大地に踏みつけばたばたさせて、激しい怒りや悔しさを表すこと。じだんだを踏むこと」とあります。

 片桐洋一先生は、この通説に疑問を呈しておられます。引用しておきます。

一般には「地団駄を踏む」の意に解されているが疑問がある。万葉集に「立ち走り叫び袖ふりこいまろび足ずりしつつ」(1740)「こいまろび……足ずりし」というように「こいまろぶ」(ころがりまわる)とともに用いられ、名義抄でも「足+色(←一文字です)」という字を「たふる、まろぶ、ひざまづく、あしずり」と読んでいるからである。膝を含めて足を地にすりつけて残念がっているのであろうか。

 片桐先生が問題とされているのは、「足ずり」という行為のあり方ですね。「膝を含めて足を地にすりつける」という。でも私がここで問題としたいのは、そういう動作ではなく、男の悔しさが「地団駄を踏む」という表現で、果たして読者に伝わるのか、という点です。

 万葉集1740とは、実は浦島太郎の原形ともいうべき記事です。かなり長い作品なので全文引用は省略しますが、「立ち走り叫び袖ふりこいまろび足ずりしつつ」前後を引用しておきます。

 

この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける

 

 ざっとわかれば結構です。 この箇所は、玉手箱をあけて煙をかぶってしまった時の浦島の様子を描いたものです。 注意深くみてみましょう。

 まず煙を浴びて浦島がとった行動は、「立ち走」ることでした。煙から逃げようとしての行動でしょう。  

 次に「叫び袖振り」ですから、煙にまかれて逃げられず、「叫び」、煙を払おうとして「袖振」るわけでしょうね。

 次に「こいまろび」(ころげまわり)とあるのは、 たっぷり煙りを浴びた浦島が 弱ってしまい立っていられなくなって、ころげまわったのでしょう。

 次に「足ずり」が来ますが、これは保留。

 次に「心消失せぬ」ですが、これは「失神」しているということです。

 失神したあとは、老化が表面化しはじめ「肌も皺みぬ 黒くありし神も白けぬ」となってしまい、そして最後に「息さへ絶えて後つひに命死にける」ということになってしまう。そして浦島は急速に老化が進み、死んでしまっています。

 こうして見ると「立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ」は死ぬ間際に苦しんでいる浦島を表現した文言と解釈されえます。とすれば、「足ずり」は苦しみながら転げ回った末、失神間際で足をバタバタさせている様子、と解釈できますね。その姿は「足をすりあわせ」ているようにも見えたことでしょうし、そもそも「足ずり」とは死ぬほどの苦しみを前提とした動作、ということになります。

 これに対して「地団駄を踏む」はどうか。非常に悔しいことは間違いないでしょうが、少なくとも死を前提にした動作には思えない。広辞苑(第三版)には「怒りもがいて、またくやしがって、はげしく地面を踏む」とあり、用例として(浄 反魂香とありますが、浄瑠璃の反魂香なのでしょうか)、「四郎二郎ぢだんだ踏んで、エゝ佞臣ども、むざむざとは死ぬまい」とあります。用例に「死ぬ」とあります。広辞苑のこの記事によれば「地団駄を踏む」にも死のニュアンスがありそうですが、でも死にかけて苦しんでいるのとは違う。死を前にして怒り狂っているわけで、怒りの方が全面にでてくる。

 やっぱり、「足ずり」の訳として「地団駄を踏む」は、ずれているんじゃないのか、と思うのです。

 では、どう訳せばよいのか。

 あらためて場面を確認しておくと、ようやくの思いでお姫様を盗み出し、芥川まで逃げてきたわけです。これ、電車も自動車もなかった当時としては、とんでもない距離なわけです。本当に一晩で、しかもお姫様を連れて移動できるものなのか、大いに疑問ですが、その疑問はともかく、それほどお姫様に寄せる思いは強かったわけです。雨が降り、雷がなり、あばら屋にお姫様を押し込んだあと、自分は武装して入口を守っていた。これもお姫様に寄せる思いが強かったことを示します。

 そして、そのお姫様がですよ、突如消えちゃったわけです。しかも鬼に食われちゃったわけです。これはたまらない。あれほど苦労して盗み出したお姫様を……。その苦しみは「地団駄を踏んだ」なんてものではなかったでしょう。それこそ、死ぬほど後悔し苦しんだことでしょう。 その苦しみの表現として「足ずり」とでてきているのですから、意訳ですが「横たわって身もだえし、死ぬほど苦しみながら(泣いたけれど)」とでもすべきではないでしょうか?いかがなものでしょうかね。

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