シンプルに
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男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり。 はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、 鬼、はや一口に食ひてけり。「あなや」と言ひけれど、 神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。
女を連れて逃亡中、夜も更けたし雨も降ってきたし、その上、雷までも鳴り始めたので、あばら屋に緊急避難した男でしたが、そこは鬼の住む所でした。今日の箇所を逐一説明していきましょう。
「男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり」とは、弓は問題ないでしょう。「やなぐひ」とは矢をいれる道具で、背中に背負うものです。男は武装したんですね。それであばら屋の入り口にたって、女を守っている。訳は「男は弓とやなぐいを背負って、戸口に立っている」となりますね。
「はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに」は「なむ」がポイント。「なむ」は願望を表す終助詞です。「~したい」「~してほしい」と訳します。助詞ってあんまり問題にならないんですが、この「なむ」は例外で重要です。ちなみに未然形接続です。そうそう、係助詞にも「なむ」ってありますよね。これとの識別が問題にされる時もあります。識別の方法?簡単ですよ。願望の「なむ」って終助詞ですから、基本的に文末にしかきません。でも係助詞の「なむ」は文の途中にしかきません。文末に来たら、どうやって文末の連体形を作るんですか?(笑)ただし、「省略」の場合もありますので、一概にはいえませんがね。訳は「早く夜もあけてほしいものだと思いながら(戸口のところに)いたところ」となります。
「鬼、はや一口に食ひてけり」は、「食ひてけり」の「て」は完了「つ」の連用形。訳は「鬼ははやくも一口で食べてしまった」となります。
「「あなや」と言ひけれど、」は、「あなや」は女の叫び声。「あれえ」と訳すのが多いですね。訳は「「あれえ」と言った(叫んだ)けれど」となります。
「神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり」は「え~ず」が最重要ポイント。不可能を表し、「~できない」と訳します。「神」はもちろん「雷」。訳は「雷が鳴る騒ぎで、(女性の悲鳴が)聞こえなかった」となります。「え聞かざりけり」を「聞かなかった」などと訳さないように。不注意です。
今日はこれまで。
行く先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、
ここは一見なんてことのないように見えますが、なかなか訳しにくいところです。まずは、逐一確認してみましょう。
「行く先多く」は「行く先遠く」の誤りとするのが一般です。状況は姫君を盗んで逃げてきて、芥川までやってきて、というシチュエーションですからね。ここで宅配便じゃあるまいし、行く先が多くってもしょうがない。安住の地を求めて逃げているのですから、安住の地はまだまだ遠く、の意味で「行く先多く」は「行く先遠く」の誤りとするのがいいでしょう。もっとも、何でこうなったのかわからないので、本当にこれでいいのか、ちょっと不安ではありますがね。とりあえずここでは「行き先遠く」の誤としておきます。
「夜もふけにければ」は「夜も更けたので」ということ。「已然形+ば」に注意。
「鬼ある所とも知らで」は「鬼がいる所とも知らずに」ということ。主語がありませんけれど、芥川まで逃げてきたと行っているので、「この芥川の地は」が主語になるでしょうね。
「神さへいといみじう鳴り」は「さへ」は添加と言われています。「(それに加えて)~までも」と訳します。それほど難しくはないのですが、ちょこちょこテストで尋ねられるところですね。 旺文社全訳古語辞典から用例を紹介しましょう。
をとついも昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも(万葉集6/1019)(おとといも昨日も今日もあったけれども、そのうえ明日も逢いたいあなただなあ)
似たような言葉に「だに」というのがあります。中世以降、「さへ」は「だに」と混同されていくのですが、それはまた別の項目でお話します。
「神」は雷のこと。「鳴り」でピンときてほしいですね。だって神様が「鳴る」わけないでしょ(笑)。
そうそう、ここの「いといみじう」は、テストで訳すときにはちょっと注意が必要です。「いと」と「いみじう」とありますので、訳すときには「とても」+「激しく」とでもしておかなければいけません。それを「激しく」しか書かなければ、意味的には大して変わりはないかもしれませんが、「いと」の訳し漏れとして減点されてしまいます。テストの現代語訳は「逐語訳」を基本として、あとは文脈にあわせて自然な日本語になるように心がけてください。
「雨もいたう降りければ」は「雨も強く降ったので」ということ。ここでも「已然形+ば」が登場しています。
「あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて」は、「あばらなる」は形容動詞です。「あばら」といえば「肋骨」を連想しますので名詞かな、とも思われますが、漢字でかけば「荒らなり」「疎らなり」となり、形容動詞であることは理解されるでしょう。荒れ果てて、物がなくて、がらんとしている様子のことです。
ちょうど、そういう蔵があったんでしょうね、「女を(蔵の)奥に押し入れ」たわけです。
ちなみにですね、この「がらんとした様子」が発展して、「まばらだ、手薄だ」の意味も発生します。ベネッセ古語辞典より用例を紹介しましょう。
高橋心はたけく思へども、後ろあばらになりければ、力及ばで引き退く(平家物語7篠原合戦)(高橋長綱は気を強く持っているが、背後(の味方の兵)がまばらになったので、戦力が足りず退却する)
後続の味方が「あばらに」なったので退却した。つまり、後続の味方の数が減ってしまって手薄になってしまったので退却した、というわけです。
また、「あばる(荒る)」という動詞もあります。「(家などが)荒れ果てる」ことであり、「暴れる」ことではありません。これもベネッセより用例を紹介しておきましょう。
女のひとり住む所は、いたくあばれて、築土〔ついひぢ〕なども全〔また〕からず……(枕草子178)(女が一人で住んでいる所は、ひどく荒れ果てて、土塀なども完全ではなくて……)
「女が一人で住んでいる所は、(乱暴な男がやってきて)ひどく暴れて、土塀なども(壊されてしまい)完全ではなくなり」と訳す人がいるかもしれませんね(笑)
さて以上を並べてみましょう。
「行く先遠く」「夜も更けたので」「鬼がいるところとも知らずに」「雷までもとても激しく鳴り」「雨も激しく降ったので」「隙間だらけの荒れ果てた蔵に女を奥に押し入れて」
となります。意味わかります?
安住の地まではまだまだ遠く、夜も更けたので、鬼がいる所ともしらずに、雷まで激しく鳴り、雨も激しく降ったので、 隙間だらけの荒れ果てた蔵に女を奥に押し入れて……
なんとなくはわかりますがね、それじゃ通用しないのです。もっとよく考えなければ。
片桐洋一先生が、面白いことを言っています。ここは文の構造がややこしいんですね。
(行く先多く、夜もふけにければ、)鬼ある所とも知らで、(神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、)女をば奥に押し入れて
括弧をつけてみましたが、要するに括弧の部分が追加みたいなものなんです。本来は「鬼ある所とも知らで、女を奥に押し入れて」だったんですが、これにそれぞれ理由をくっつけた。だから表現上「已然形+ば」が繰り返されることになった、というわけです。なるほどねぇ~。
この考え方に沿って、訳を組み立てなおすと、こうなりますかね。
安住の地まではまだまだ遠く、夜も更けたので、鬼がいる所ともしらずに、(それに)雷まで激しく鳴り、雨も激しく降ったので 隙間だらけの荒れ果てた蔵に女を奥に押し入れて……
中に「それに」を追加しただけです。ただそれだけ。でも、この一言を入れられるかどうかで、理解度を計ることができるわけです。
できるだけシンプルに、ということは、時として背景はおそろしく複雑にならざるを得ない、ということでもあるわけです。
芥川⑨「已然形+ば」
しばらく間があいてしましました。
時々、こういうこともあります。どうかご了承ください。
さてさて、芥川、といいながら、今回は(も?)本文には全然触れません。今日は、「已然形+ば」の話です。
まずは前回の復習ですが、「ば」の用法には「未然形+ば」と「已然形+ば」の二種類がありました。
この両者はもちろん意味が異なるため、訳し方も変わります。そのニュアンスだけを、もう一度紹介しておくと、以下のとおり。
「未然形+ば」→(まだそうなってはいないんだけどさ)というのが前提にある
「已然形+ば」→(もうそうなっているんだけどさ)というのが前提にある
今回扱うのは、「已然形+ば」なんですが、これ、「未然形+ば」に比べると、ほんの少々、クセがあるんですね。
というのは、「未然形+ば」は「まだそうなってはいない」が前提の用法です。
まだそうなっていない、ということは、そうなっていないことをわざわざ持ち出すんですから、当然、「たら、れば」の話になる、すなわち「仮定」になってしまい、それで終わり。
だから「未然形+ば」は仮定の用法しかないわけなんですね。
ところが、「已然形+ば」は、そう簡単にはいきません。なんせ、「事件」はおこってしまっているのですから。
「事件」に対応する方法は、大きくいって2つ。「それ」と関係するのか、しないのか、です。
A 順接の確定条件
(もうそうなっているんだけどさ)、だから……
→「そうなっている」ことをきちんと受け止めて、それを理由に次にいくパターンですね。
「そうなっていること」が理由、「だから」以降が結果。訳し方は「~ので」となります。
ちなみに、この「~ので」の訳し方は「順接の確定条件」と呼ばれているのは、おそらく「未然形+ば」が「仮定」条件だったので、仮定に対応させて「確定」としたんでしょうけど(ちがうのかな)、もしそうだとすれば、もう少し命名に工夫が欲しかった、と思うのは私だけでしょうか?そのまんま「因果関係」でいいと思うんだけどな。
ま、名称はさておき、例文をみておきましょう。
①京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず(伊勢物語09)
→都では見かけない鳥であるので、(そこにいる人は)みんな見知らない。(数研出版「体系古典文法」)
②あしくさぐれば、なきなり。(竹取物語)
→下手に探すから、ないのだ。(尚文出版「これからの古典文法」)
③いと幼ければ、籠(こ)に入れて養ふ(竹取物語)
→たいそう小さいので、籠にいれて育てる
④事に触れて数しらず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを(源氏・桐壺)
→何かにつけて数えきれないほどたくさんつらいことばかりが重なるので、たいそう思い悩んでいるのを
(文英堂「全解古語辞典」)
⑤京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。(伊勢9)
→京都では見ることのできない鳥であるので、その場にいる人全員が(なんという鳥であるのか)見てもわからない。
(「ベネッセ全訳古語辞典」)
ちなみに、問題にされやすいのはこのパターンです。
B 偶然条件(偶発条件)
(もうそうなっているんだけどさ)、それはそうとして、そうなってみると、
→「そうなっている」ことを、さらりと流して終わり。「そうなっている」ことを理由としないパターン。
用語としては「偶発条件」(尚文出版)とか「偶然条件」(数研出版)とかいいますが、これもどうなのかな~。偶発とか偶然とかいうと、どうしても「たまたまそうなっちゃった」というニュアンスがでて、これが「已然形+ば」とどう絡むのか、わかりにくいもんね。何とか表現しなきゃいけないから、こうなったのだろうけど、要するに因果関係はない、ということです。もうちょっと突っ込んでおくと、現代語で「(ちょっと)横をみてみれば、先生がそこにいた」という文があったとするでしょ。これ、「(ちょっと)横を見てみると」としても別に問題はありませんよね(細かいニュアンスの相違はあるだろうけど)。少なくとも「(ちょっと)横を見てみたので、先生がそこにいた」と置き換えることはできませんよね。横を見たせいで先生が登場するなんて……。先生は化け物か何かですか、という話になる。なんせ湧いて出てきている訳ですから(笑)。
さてさてわかります?この違い。前者が偶然条件で、後者が順接の確定条件なわけですよ。以下、例文をあげておきます。
⑥それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり(竹取物語)
→それを見ると、三寸(10センチ)ぐらいの人が、とてもかわいらしい様子ですわっていた。
(数研出版「体系古典文法」偶然条件)
⑦帰りたければ、ひとりついたちて行きけり。(徒然草60)
→帰りたくなると、ひとりぷいと立って行った。
※これ、「帰りたいので」と訳したくなりますよね。
(尚文出版「これからの古典文法」偶発条件)
⑧筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり(竹取物語)
→筒の中が光っている。それを見ると、三寸ほどである人が、たいそうかわいらしい様子で座っている
(文英堂「全解古語辞典」偶然のきっかけ・契機)
⑨それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり(竹取物語)
→それ(竹の中)をみると、(身長が)三寸ほどである人が、とてもかわいらしい様子で座っている
※「上一段動詞「見る」の已然形に付いている例。そこを見たらたまたま人が座っていた、という意味で、「ば」の前の句と後の句には因果関係はない。このような接続の条件を「偶然的条件」ともいう。」
(「ベネッセ全訳古語辞典」)
C 恒時条件(恒常条件)(……といつも/……と必ず)
⑩瓜食(は)めば子供思ほゆ栗食めばまして偲はゆ(万葉集5)
→瓜を食べるといつも子供のことが思われる。栗を食べるといつもいっそうしのばれる。
(数研出版「体系古典文法」)
⑪財(たから)多ければ、身を守るにまどし。(徒然草38)
→財産が多いと必ず、身を守るのに不十分となる。
(尚文出版「これからの古典文法」恒時条件(恒常条件))
⑫家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(万葉2・142有馬皇子)
→家にいるといつも器に盛る飯を、旅にあるので椎の葉に盛る
※「謀反の嫌疑を受け、審問のため紀伊へ護送された有馬皇子はその帰途、殺されてしまう。その護送の途中で詠んだ歌。歌の内容は旅にあって我が家を懐かしんだものであるが、死を直前にするという事態から、日常的な事柄もかけがえのないものとなっている。「草枕」は枕詞。」
⑬命長ければ、恥多し(徒然草7)
(文英堂「全解古語辞典」順接の一般的・恒常的な条件関係を表すの項目)
⑭作り据ゑたる酒壷に、差し渡したる直柄(ひたえ)のひさごの、南風吹けば北になびき、北風ふけば南になびき……(更級日記・竹芝寺)
※「四段動詞「吹く」の已然形に付いている例。ある条件のもとではいつも決まって、後に述べる結果になることを表す用法。」
(「ベネッセ全訳古語辞典」順接の恒常的条件)
大体この3つを覚えておくと、大丈夫と思います。細かいこといいだすとキリがありませんしね(笑)。
それにしても、この3番目の「恒時条件」というのが、面倒くさいんですよね。例えば⑪の場合、
→財産が多いので、身を守るのに不十分となる
でも、いいように思いません?⑬もそうですね。
→命が長いので、恥が多い
これもよさそうに見えません?
で、実は文法だけに拘れば、これはこれでOKです。じゃ、なんでそうしないのか?
理由は簡単です。この訳では、本文に戻した時にうまくいかないから。つまり、「文脈上の問題」で訳が決定されるんですね。
じゃ、折角訳しても、本文に戻して確認しなければ、これでいいのかどうか、わかんないってことなの?
はい、その通りです。面倒かもしれませんが、最後は文章に戻して、この訳でいいのか考える。これも語学の一環ということでご理解くださいね。
この項目、一応終了ということで、次から本文に戻ります。
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