最初に昨日指摘しておいた対比を再掲しておきます。
形はイマイチですが、試験中はこんなもんだろうと考えて、昨日のを整理せずにだしておきます。
共通点=どちらも故人のことを書く
・ポアンカレー……面白くない……(下記の反対)
・ソスノウスキー…面白い…………文字通り哀悼の言葉、素朴、中味がつまっている、身を打ち込んでいる
・賢い人……車輪の発明など、感謝状なし、仕事の価値を知っている、(下記の逆)
・(そうでない人)……文字となって残る仕事だけが仕事と思っている、(感謝状あり?)
あとドストエフスキーはソスノウスキー型で生活をうちこんでいる、というのもありました。
これらを踏まえながら、問題を解いていきましょう。
対比から独立している問題
(C) ―――線部(1)について。なぜ「素樸」はそれについて語ることができないのか。その説明として最も適当なもの一つを、次記各項の中から選び、番号で答えよ。
1 素樸とは、愚直に真理を追求する態度であり、それがどのような結果になろうと関係ないから。
2 素樸とは、寡黙さのなかに蓄えられた熱意であり、言葉で語らないこと自体に意味があるから。
3 素樸とは、周囲の誤解を恐れず、他人からみれば馬鹿々々しく思える仕事に没頭することだから。
4 素樸とは、目の前の仕事に全身全霊で打ち込み、脇目もふらずに瞬間を駆け抜けることだから。
5 素樸とは、自分をせっぱつまった状態に追い込む力であり、当人にもその状態を説明できないから。
問題文が求めているのは、「なぜ「素樸」はそれについて語ることができないのか」ということです。
これは対比とは関係ないですね。
素直に傍線を含む一文を確認し、段落へと拡げていけば、大抵は解答できるはずです。
該当段落を引用しておきましょう。
ところで、僕は今ここでその素樸についてお喋りしようというのだが、考えてみるとてれ臭くないわけではない。なぜといって、素樸はそれについて語ることのできないものだから。それについて語ることは素樸でないだろうから。それを敢えてしようとするのだから。第一、素樸が好きだとか何だとかいってみても、それは理窟はいろいろとつけられようけれど、個人の好みや、生理的関係にもよるのだろうし、たとえそれを僕が芸術上の信条としているとしても、結局それは僕のひとり合点のことで、ひとり合点のことなら他人に押しつけないがいいのだから。
傍線は「なぜといって」以外は全部引かれています。そして当然のことですが、この一文から、「なぜ「素樸」はそれについて語ることができないのか」、明らかにすることはできません。
これ以上何も得ることがないと判明したら、そこで傍線を含む一文の処理は終わり。次は段落です。
ここで注意しなければいけないのは、不用意に別の段落に行かないことです。
経験からの確率論ですが、別の段落を見ても、時間の無駄に終わることがほとんどです。
段落内部をみると、特徴のある表現がありますね。
「なぜといって、素樸はそれについて語ることのできないものだから。それについて語ることは素樸でないだろうから。それを敢えてしようとするのだから。」という部分です。「から」が連続しています。
この「〜だから」は原因を示す言葉ですが、ならば結果に該当するのは何か?
「てれ臭くないわけではない」です。主語をいれて整理しておくと、素朴について話すことは、(少々)てれ臭い、というわけです。
なぜてれ臭いかといえば、「なぜといって〜」となるわけです。
少々くどくなりましたが、ここで注意してほしいのは、理由と結果との関係がわかりにくい、ということです。
①素樸はそれについて語ることのできないものだから。
②それについて語ることは素樸でないだろうから。
③それを敢えてしようとするのだから。
これらと「てれ臭い」と、どう関係するのでしょう?
「てれ臭い」を念頭において整理してみると、
①素朴はそれについて語ることのできないものであって、②それについて語ることは素樸でないのだけれど、③それを敢えてしようとするのだから(てれ臭い)
となります。つまり、「てれ臭い」理由は③にあるわけです。そして③を支えるものとして、①②があるわけです。
要するに、重文を気取ってばらばらにしているだけです。
このラインに沿って考えてみると、答えは「それについて語ることは素樸でないだろうから」となりますね。
つまり、素朴について語ること自体、すでに素朴ではないから、というわけです。
ここから選択肢を選んでいきます。
難しいですが、対象に集中して、それだけのことを一心不乱に考え、没頭することが、作者のいう素朴でしょう。
ここから解答は4になります。
1 素樸とは、愚直に真理を追求する態度であり、それがどのような結果になろうと関係ないから。
→対象に集中する態度が「素朴」であり、その対象自体は限定されていない。つまり対象は「真実」とは限らないからダメ
2 素樸とは、寡黙さのなかに蓄えられた熱意であり、言葉で語らないこと自体に意味があるから。
→素朴を「熱意」と捉えてよいのか、判断に苦しみますが、後の「言葉で語らない」云々は「対象に集中する」ことと関係しないのでダメ
3 素樸とは、周囲の誤解を恐れず、他人からみれば馬鹿々々しく思える仕事に没頭することだから。
→「周囲の誤解」とありますが、「周囲」には言及されてません。ダメ。
4 素樸とは、目の前の仕事に全身全霊で打ち込み、脇目もふらずに瞬間を駆け抜けることだから。
→前半部は全く問題なし。後半部は表現上、「瞬間(=時間)」の登場で正誤の判断に苦しみますが、一般常識的にはOKでしょう。ただし、一般常識とはいえ、文脈にあるかないか、確認できない事項を使用するのは結構危険なので、保留。
5 素樸とは、自分をせっぱつまった状態に追い込む力であり、当人にもその状態を説明できないから。
→「集中すること」は必ずしも「自分をせっぱつまった状態に追い込む」ことではありません。ダメ。
以上で相対的に解答は4、となるわけです。
でも対比につながっている問題
今回は「素朴について語ること自体、すでに素朴ではないから」ということから、「集中」というタームを導き出したのですが、正直いって、これは受験生には難しいと思います。
実はもうひとつ別の方法があります。
それは対比を使う方法です。
といっても、対比をそのまま使うわけではありません。
全体を「大雑把に」読んで対比でまとめた時のデータを用いるのです。
身を打ち込んだ仕事で、中味が詰まっている仕事を行うには、生活をどこまで叩き上げるかが重要である。筆者はこうした態度をとる人を「賢い人」と称し、仕事の価値を知っている人とする。また、こうした人たちの仕事に対する態度を、筆者は「素朴」と称している。
ポイントになるのは前半の「身を打ち込んだ仕事で、中味が詰まっている仕事」の部分です。
ここにはソスノウスキーやドストエフスキーなどが、具体例として盛んに引用されていました。これらは作者が評価している事項ですが、そもそも「素朴」は作者が評価している事項ですので、「作者が評価している」の一点で、両者は結びつくのです。
つまり、「素朴というのは生活を議論するレベルまで、仕事に身を打ち込むことであり、中味を詰め込むこと」となります。これと「素朴について語ること自体、すでに素朴ではないから」を合わせて考えると、こうなりますね。
1 素樸とは、愚直に真理を追求する態度であり、それがどのような結果になろうと関係ないから。
→対象に集中する態度が「素朴」であり、その対象自体は限定されていない。つまり対象は「真実」とは限らないからダメ
→同上。ここは変化なし
2 素樸とは、寡黙さのなかに蓄えられた熱意であり、言葉で語らないこと自体に意味があるから。
→素朴を「熱意」と捉えてよいのか、判断に苦しみますが、後の「言葉で語らない」云々は「対象に集中する」ことと関係しないのでダメ
→「寡黙さのなかに蓄えられた熱意」は最後の方に述べられている「賢い人」の話から出てきた内容ですね。「文字となって残る仕事だけが仕事と思っている」の反対として登場したのでしょうが、「文字となって残る仕事だけが仕事と思っている」の反対は「文字となって残る仕事だけが仕事とは思っていない」であって、「寡黙さの……」ではない。ダメ。後半部に関しては同上。
3 素樸とは、周囲の誤解を恐れず、他人からみれば馬鹿々々しく思える仕事に没頭することだから。
→「周囲の誤解」とありますが、「周囲」には言及されてません。ダメ。
→「周囲の誤解」も同じく「賢い人」の話から出てきたのでしょうが、「周囲が知らない」ならわかりますが、「周囲の誤解」は登場してません。ダメ
4 素樸とは、目の前の仕事に全身全霊で打ち込み、脇目もふらずに瞬間を駆け抜けることだから。
→前半部は全く問題なし。後半部は表現上、「瞬間(=時間)」の登場で正誤の判断に苦しみますが、一般常識的にはOKでしょう。ただし、一般常識とはいえ、文脈にあるかないか、確認できない事項を使用するのは結構危険なので、保留。
→「脇目もふらずに瞬間を駆け抜けること」はドストエフスキーのあとのところで、「僕の考えによれば、このすべての瞬間にいっさいを叩き込むという態度こそ最も素樸な態度なのだ」とありますので、ここからとったものでしょう。
5 素樸とは、自分をせっぱつまった状態に追い込む力であり、当人にもその状態を説明できないから。
→「集中すること」は必ずしも「自分をせっぱつまった状態に追い込む」ことではありません。ダメ。
→これもおそらくドストエフスキーの生活の話あたりに由来するものでしょう。「いっさいをぶちこむ」云々を曲げて解釈して「せっぱつまった」としているだけです。ダメ。
最初にくる総合問題
こうして見ると、この問C(内容読解問題の初問)は全体をまとめるための総合問題、といえそうです。
最初に全体をまとめる総合問題がくるのか?と考える人もいるでしょうが、実際、きてます。
センター試験では、初問で総合問題がくることは、まずありえませんが、私大ではアリです。
私大の受験生は、過去問を研究して、最初に総合問題がきているかどうか、よく判断してください。
そして、更に理解しておいてほしいことが2つあります。
・直接に対比とは関係しないように見えても、問題を考えるうちに対比で得られた情報を用いることがあること。
・問題を解くときには、まず段落レベルで十分に考えること。
今日はここまで。
明日は休みます。
よいお年を。