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今日の国語

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引っ越しました

「今日の国語」は下記のURLに引っ越しました

http://kyoukokuan.com/

今度のサイトの名前は「今日国庵」です
「今日の国語」を縮めただけですね(笑)

このサイトの内容も順次お引っ越しの予定ですが、 しばらくは残しておきます

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます


今日国庵主人
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2012漢文センター本試 問6

 最後の問題です。
 
 
既に内容はわかってます                          
 
 問題の引用から始めます。
 
問6 傍線部D「汝為人、何黄之有」の書き下し文として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 これは冥官が怒って「人」に言ったセリフの一部です。
 冥官が怒ったのは、「人」が助かりたい一心で、持ってもいない「黄」を持っていると言ったからです。
 いわば、冥官のセリフは、「人」に対するつっこみです。
 つっこみならば「お前、「黄」なんか持っていないだろうが!!」となるわけで、漢文がわからなくても、古文の「反語」さえ理解しておけば、解答は簡単にでてきます。
 選択肢です。
 
① 汝の人と為(な)り、何(いづ)れの黄の有るや
② 汝は人の為(ため)に、何(なん)ぞ黄の之(こ)れ有らん
③ 汝は人為(た)り、何(なん)の黄か之(こ)れ有らん
④ 汝は人を為(つく)りて、何(なに)をか黄の有るや
⑤ 汝の人を為(をさ)むるや、何(いづ)れに黄の之(ゆ)く有るか
 
 正解は③です。解説は不要でしょう(これは古文の範疇です)。
 
 これだけだと寂しいので、句法も紹介しておきます。
 
 「為人」は普通なら「人と為(な)り」とよんで、「(その)人の人物は」とか「(その)人の正確は」と訳します。
 選択肢で言えば、①のあり方が普通なわけで、①は単に句法を丸暗記している人を引っ掛けるための選択肢です。
 
 「何黄有之」は反語表現です。
 
 センターの漢文は、なぜか「何」が大好きのようで、頻出です。ポイントは以下のとおり。
・反語か疑問か、ちゃんと区別する(大抵、反語です)
・反語の句法を押さえておく(句法完全無視、もいただけません)。
・「何+α」のパターンまでおさえておく(何処、何時など。辞書をひけば出てきます)。
 
 
最後に                                 
 
 これでセンター前の連載?は終了します。ここから新しい問題をやっても、完了できませんから。
 それに、必要なことは、一応全部言い尽くしてはいます(理論篇参照)。
 あとは、それらをしっかり復習して、頭の中にモデルケースをきっちり作っておくこと。
 受験では同じ問題は出ません。
 でも似たような問題しか出ません(でなきゃ国語の教員なんて、やってられません)。
 
 本番まであとわずか。
 体調管理に気をつけて、頑張ってください。
 
 なお、本ブログは2月上旬(センター試験後の指導終了後)、似たような内容を続けていきます。
 センター前は、これまで!!
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2012漢文センター本試 問4 問5

 
 前回、対応関係の話をしましたが、理解のしようによっては、これも対比の一種ととらえてもいいかもしれません。あるいは、同義反復と捉えることも可能でしょう。
 どっちなのか、と思う人もいるかもしれませんが、どちらでもかまいません。
 なぜなら、これは「手段」だからです。目的は正解にたどりつくことです。
 「同義反復」ならば、「対応しているところはどこだ?」と考えるはずです。
 また「対比」と捉えても、やはり「対応しているところはどこだ?」と考える事でしょう・
 どっちにしても同じことです。
 
 さて、今日の本題です。
 
推測する技術                               
 
 問題文と課題文を引用しておきます。
 
A 「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死。蛇前訴曰『誠有罪、然亦有功、可以自贖』。冥官曰『何功也』。蛇曰『某有黄、可治病、所活已数人矣』。吏考験、固不誣、遂x。
B 良久、牽一牛至。獄吏曰『此牛触殺人。亦当死』。牛曰『我亦有黄、可以治病、亦活数人矣』。良久、亦x。
C 久之、獄吏引一人至。曰『此人生常殺人、幸免死。今当還命』。其人倉皇妄言亦有黄。冥官大怒、詰之曰『蛇黄・牛黄皆入薬、天下所共知。汝為人、何黄之有。』左右交訊、其人窘甚曰『某別無黄。但有些慚惶。』」
 
問4 本文中の二箇所の空欄xにはどちらも同じ語句が入る。その語句を(ⅰ)の①~⑤のうちから一つ選べ。また、(ⅰ)の解答をふまえて、本文から読み取れる蛇と牛に対する冥官の判決理由を説明したものとして最も適当なものを、(ⅱ)の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 AとBとは同系列の話(ひろくとれば、同義反復といってもよいでしょう)であることは、既に述べましたし、それを用いて問題を解いてきました(ここのところの判断は難しいのですが)。
 AとBとが同系列ということがわかりさえすれば、xに入るのは、AB共通の「オチ」であることとなります。
 
 内容をあらためて確認しておきましょう。
 蛇と牛は裁判にかけられて死刑を宣告されてしまう、宣告されてからそれぞれ言い訳をする。蛇は「某有黄、可治病、所活已数人矣」と言い、牛は「我亦有黄、可以治病、亦活数人矣」と言っています。共通しているのは、どちらも「黄」を言い、「活数人」と言っていることです。
 「黄」は注11(ここでは掲載を省略しました)に「蛇黄・牛黄」とあるように、薬のことのようです。
 「黄」が薬の名だとすれば、蛇や牛の言っているセリフの内容も理解しやすくなります。薬のことをいっているのだから「活数人」は数人を助けた、ということでしょう。
 とすれば、その前に言っていることは「確かに人を殺したけれども」のはずです。なんせ死刑を宣告されているのですから。
  
 ここまで理解できたなら、xの内容は、最終判決の内容が入るはずです。すなわち、そのまま死刑か、あるいは死刑じゃなくなるか、です。
 問題を確認しましょう。
 
(ⅰ) 空欄に入る語句  
① 得免 ② 不還 ③ 有功 ④ 得死 ⑤ 治病
 
 解答は①か④しかありませんね。残りは判決になりません。
 では助かったのか、死刑になったのか。
 そのヒントはCにあります。
 
 蛇、牛に続いて、今度は人が来ました。どうせ同じパターンです。
 同じパターンだとすれば、言うことは決まってます。どうせ「黄」がある、数人助けた、です。
 ではなぜ、この人はこんなことを言っているのか?
 簡単ですね、前の蛇と牛がそれで助かったからです。助からないようなことを言う訳がありません。
 ここから蛇と牛は助かった、つまり解答は①ということになります。
 
 次に行きましょう。
 
(ⅱ) 判決理由の説明  
① 蛇も牛も、生前人を殺した上に、死後も「黄」によって人を病気から救うことができるとでたらめを言って、反省していない。よって、死罪とする。
② 蛇も牛も、人を殺してきた罪は許しがたい。よって、今後「黄」によって人を救う可能性はあっても、冥界に留め置き罪を償わせることとする。
③ 蛇も牛も、人を殺してきたが、体内の「黄」で将来は人の命を救う可能性は残っている。よって、人の病気を治すことで罪を償わせることとする。
④ 蛇も牛も、人を殺すという重大な罪を犯したが、自らの「黄」によって人を病気から救ってもきた。よって、生前の罪を許すこととする。
⑤ 蛇も牛も、人を殺してきたというのは誤解で、むしろ大勢の人を「黄」によって病から救うという善行を積んできた。よって、無罪とする。
 
 答えは④です。説明は不要でしょう。
 
 次に行きましょう。
 
 
問5 傍線部C「冥官大怒」とあるが、その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 冥官が怒った理由は何か、これが問題の求めていることです。
 状況を確認しておきますと、場面は裁判です。死刑と宣告された「人」が「黄がある」といいました。これは人を助けたことがある。だから死刑は勘弁してほしい、と主張しているわけです。
 そして冥官が怒る。
 これが状況です。
 
 では冥官は誰に対して怒ったのか。それは「人」に対してです。
 「人」が素直に死刑を受け入れていたら、冥官が怒るはずはありません。「人」が何かしら、ろくでもないことをやらかしたから、冥官は怒るわけです。
 では「人」は何をやらかしたのか?
 ここでは「黄」がある、といっているだけです。
 では、なぜ「黄」がある、といって怒るのか?
 注11に蛇黄・牛黄とありますが、「人黄」とはありません。人に「黄」はありません。
 つまり、人には「黄」はないのに、「ある」と言ったから(「人」が裁判の場で嘘をついたから)、冥官は怒ったわけです。
 
 冥官のセリフを確認します。
 
 『蛇黄・牛黄皆入薬、天下所共知。汝為人、何黄之有。』
 
 前半部は「蛇黄・牛黄が薬であることは、天下周知のことである」ということですね。
 後半部は問題になっていますが、これまでの流れから言って、大意は「人が黄などもっているわけ、なかろうが!!」といったところでしょう。
 
 選択肢を確認しましょう。
 
① 蛇や牛と同様に人にも「黄」があるので人を殺した罪は許されるはずであると、その人に理路整然と説明され、獄吏の言葉が論破されそうになったことにいらだちを感じたから。
② 蛇も牛も人もみな生前は人を殺していたのに、体内に「黄」があるのを良いことに言い逃ればかりし、全く反省の色が見られないその人の不謹慎な態度が気に障ったから。
③ 生前に人を殺した上に、冥界に連れてこられてからは自分にも蛇や牛のように体内に「黄」が欲しいと、獄吏にわがままばかりを言うその人の態度に我慢がならなかったから。
④ 蛇や牛は体内の「黄」で人を救っているのに、その人は「黄」の用い方を知らずにあいまいなことを言って、人を救わずに殺してばかりいることに憤りを感じたから。
⑤ 生前に人を殺したにもかかわらず、自分の罪を逃れるために、蛇や牛のまねをして自分の体内に「黄」があると、その場しのぎのいい加減なことを言うその人の態度に腹を立てたから。
 
 選択肢の文が長いので、主文だけとります。現代文と同じ要領です。
 
① 獄吏の言葉が論破されそうになったことにいらだちを感じたから。
② 蛇も牛も人も、全く反省の色が見られないその人の不謹慎な態度が気に障ったから。
③ 獄吏にわがままばかりを言うその人の態度に我慢がならなかったから。
④ 人を救わずに殺してばかりいることに憤りを感じたから。
⑤ その場しのぎのいい加減なことを言うその人の態度に腹を立てたから。
 
 これだけでもわかりますね。
 解答は⑤です。
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2012センター漢文本試 問2 問3

 今日は内容読解に入ります。
  
文法(句法)から考える                          
 
 問題を引用します
 
問2 傍線部A「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死」の返り点の付け方と書き下し文との組合せとして最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 傍線部Aの一文を見ますと、第二句に「為冥官所追議」とありますね。
 これは「為(人)所(動詞)」という句法(構文)で、「(人)の(動詞)する所と為る」と読み、「(人)に〜される」と訳します。いわゆる「受け身」です。
 この句法を知っていれば、「為冥官所追議」は「冥官の追議する所を為る」と読み、「冥官に追議された(される)」と訳すことがわかります。
 
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫(か)みて人を殺し、冥官の追議する所と為(な)り、法は死に当たる
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫みて人を殺さんとし、冥官の所に追議を為すは、死に当たるに法(のっと)る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫まれ殺されし人、冥官と為りて追議する所は、死に当たるに法る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇の螫むこと有らば殺す人、冥官の追議する所の為(ため)に、死に当たるに法る
有蛇螫殺人、為三冥官所二追議一、法当死
蛇有りて螫まれ殺されし人、為に冥官の追議する所にして、法は死に当たる
 
 これだけで、解答は①とわかります。
 
 
対応から考える                              
 
 この問題は別方向から考えることもできます。
 課題文を引用します。
 
A 「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死。蛇前訴曰『誠有罪、然亦有功、可以自贖』。冥官曰『何功也』。蛇曰『某有黄、可治病、所活已数人矣』。吏考験、固不誣、遂x。
B 良久、牽一牛至。獄吏曰『此牛触殺人。亦当死』。牛曰『我亦有黄、可以治病、亦活数人矣』。良久、亦x。
C 久之、獄吏引一人至。曰『此人生常殺人、幸免死。今当還命』。其人倉皇妄言亦有黄。冥官大怒、詰之曰『蛇黄・牛黄皆入薬、天下所共知。汝為人、何黄之有。』左右交訊、其人窘甚曰『某別無黄。但有些慚惶。』」
 
 問題は課題文Aから出題されています。
 ここで漠然とでも、ABCの関係に眼を注いで、AとBとは同系列のはなし、Cはそれとは異なる話、とだけでも理解できたならば、「有蛇螫殺人、為冥官所追議、法当死」はBの「此牛触殺人。亦当死」に対応することが理解されると思います。
 Bの大意は「この牛は人を殺した(のだから)死刑である」です。
 よって「有蛇〜」の部分も、「この蛇は人を殺した(のだから)死刑である」となるはずです 
 また「有蛇螫殺人」は「此牛触殺人」に対応します。Bは「此の牛触(つきて)人を殺す」となっていますから、「有蛇螫殺人」は「有蛇、螫、殺人」ときれるはずです。
 すなわち訓読は「蛇有り、螫みて人を殺す」となります。
 
 また「法当死」は「亦当人」に対応するのですから、「法当死」は「法、当死」ときれることもわかります。
 すなわち訓読は「法(は)死に当たる」となるわけです。
 以上を総合して考えると、解答は①となります。
 
 
次も同じパターン                             
 
問3も同じパターンです。
問題を引用します。
 
問3 傍線部B「誠有罪、然亦有功、可以自贖」の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 
 句法で見れば、この文のポイントは「可以」(「以て……(す)べし」)であり、「……できる」の意です(「可」はその他に「〜してよい」の意味もあります)。
 でも、これだけでは正解にはたどりつけません。
 
 対応関係でみてみましょう。
 傍線部Bは蛇のセリフの部分です。牛のセリフを見ると、「我亦有黄、可以治病、亦活数人矣」とありますが、これは次の蛇のセリフ「某有黄、可治病、所活已数人矣」に対応しているようです。
 つまり、傍線部Bに対応する部分は、牛のセリフには存在しないことになります。
 これはどういうことでしょうか?
 
 答えは簡単です。傍線部Bの部分は物語の展開上、「あってもなくても、どっちでもいい」部分だということです。
 こういうところは深読みしてはいけません。
 前半を見ると、「誠有罪、然亦有功」とありますが、「有罪」と「有功」とが対になっています。罪もあるけれど、功績もある、といっているのです。
 「可以自贖」の「贖」は「あがなう」と読みます。「罪をあがなう」ということです。
 以上をまとめると、「罪もあるけど功績もあり、(それで)あがなうことができる」、つまり「罪と功績とで帳消しになる」といっているのです。
 これだけで解答は②であることが理解できると思います。
 
① 実際には罪がありますので、またすぐれた仕事をして自分で罪を帳消しにすべきなのです。
② たしかに罪はあるのですが、私には功績もあって自分自身で罪を償うことができます。
③ 結局は罪があるのですが、仕事の腕前によっておのずと罪は埋め合わされるのです。
④ もし罪があったとしても、当然私の功名によって自然と罪が許されるようになるはずです。
⑤ 本当は罪があるのですが、それでもあなたの功徳によって私の罪をお許しいただきたいのです。
 
対応関係が判断できることは重要なことなのです
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2012漢文センター本試 問1

 昨日、本文の分析した割に、今日はわりと本文とは関係のない話です。
 でも、絶対に覚えておくべき事項なので、しっかり暗記してください。
 
 
暗記しとくほかない事項                          
 
 私は、句法を丸暗記することで受験に対応する、という考え方にやや懐疑的です。
 でもやっぱり暗記しとくほかない、という事項も存在します。
 その代表例が、今日取り上げる問題のひとつ、再読文字です
 
問1 傍線部(1)「未 幾」・(2)「交」の意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。
 
 再読文字はセンター試験の定番中の定番です。
 これは絶対に暗記しておかなければいけません。
 
 再読文字をあげておくと、未・将・当・(応)・須・宜、あたりがメインでしょう。
 たったこれだけです。
 しかも、登場のしかたも偏っていて、頻出は未・将・当の3つです。
 たった3つです。なのに、間違える人がすくなくありません。
 ど忘れなどといったことがないように、再読文字は上記3つを中心に、しっかり暗記してください。
 
 そのうち、今回は「未(いまだ〜ず)」です。訳は「まだ〜ない」です。
 問題を見てみましょう。
 
(1) 「未幾」
①突然に ②思いがけず ③おもむろに ④たえず ⑤まもなく
 
 「幾」は「いくばく」と読みます。意味は「いくつ?」です。
 よって「未幾」は「まだいくつもない」ということなのですが、この場合は時間を示したものと考え、解答は⑤です。
 
 もっとも読まなくても、大体でいえば⑤だろうな、と推測することもできます。
 課題文を確認してみましょう。
 
 東坡元豊間繋御史獄、謫黄州。元祐初、起知登州、未幾、以礼部員外郎。
 東坡元豊の間に、御史の獄に繋がれ、黄州に謫せらる。元祐の初、起こされて登州に知たり、未幾、礼部員外郎を以て召さる。
 
 この文は、前半で追放処分にあったこと、後半で出世したことが述べられていることは、前に説明しました。
 要するに、対比になっているわけです。
 そして「未幾」は後半部で使われている言葉です。
 登州の知事になる→礼部員外郎になる。この→の部分が「未幾」に相当します。
 では、ここに何が入るか?
 
 対比ですから、あまり強い意味の言葉は入りません。
 ①突然に、だったら、前半部にも似たような言葉か、正反対の言葉(ゆっくり、など)が入るはずです。
 でも、そんな言葉は前半には見受けられません。
 よって、①はダメ。
 
 こうやって選択肢を潰していくと、「そして」のニュアンスに最も近い、⑤まもなく、が選ばれるわけです。
 
 こういうやり方もありますが、やはりここは正確に暗記しておいてほしいところです。
 次にいきましょう。
 
 
連文と文脈                                
 
問題です。

(2) 「交」 
①向かいあって ②かわるがわる ③立て続けに ④手を替え品を替え ⑤あべこべに
 
 漢字1文字が問われるときは、二字句にして考えます。
 「交」なら、「交通」「交流」「交差」などですね。
 ここから漢字の意味を考えます。この場合ですと、訓読みにもなっている「まじわる」の意味です。
 それから、本文の確認をします。
 
冥官大怒、詰之曰『蛇黄・牛黄皆入薬、天下所共知。汝為人、何黄之有。』左右交訊、其人窘甚曰『某別無黄。但有些慚惶。』」
冥官大いに怒り、之を詰りて曰はく『蛇黄・牛黄皆な薬に入ること、天下の共に知る所なり。汝為人、何黄之有。』左右交訊ふに、其の人窘(くる)しむこと甚だしくして曰はく『某に別に黄無し。但だ些(いささ)かの慚惶有り。』と」
 
 短く取り出してみますと、「左右交訊」となっています。
 訓読より、「左右」が主語(主語の場合は「は」「が」などの助詞が付かない場合が多い)、同じく訓読により「訊」は動詞(述語)、もう少し考えれば「訊問」という言葉を思い出せれば、「訊」の意味は「問」であることがわかります(これは連文と呼ばれる技法です)。
 実際の問題では「訊」に「とフニ」とありますので、ここから「問ふ」を導き出すのもいいでしょう。
 
 さて状況をみてみますと、まず冥官が怒っています。そして何やらうにゃうにゃ言って、それから左右が質問する。
 その人はとても苦しんで云々をなっています。
 「交」はこの左右が質問するときのあり方を説明する修飾語なわけです。
 
 以上を強引にまとめると、「左右交訊」とは「左右がまじわって質問する」となります。
 これはどういう意味でしょうか?
 
 この場合の「まじわる」は、「交代」の意味ですね。
 左右(冥官の左右、ということでしょうから、左右の人、と考えられます)が交代で質問した、といっているのです。
 解答は②かわるがわる、です。
 
 この問題は二字句のところで「交代」と出てきたなら、あとはすんなりやっていけると思います。
 でも、もし思い出せなければ、ある程度のところで中断し、本文の確認に入り、それをヒントにもう一度考えた方がよいでしょう。
 思い出せそうで思い出せない、というのは、時間を大幅にロスしますから。
 
 
連文とは?                                
 
 漢字を二字句にして考えるのは、連文と呼ばれる技術を使いたいからです。
 
 小学校のときでしょうか、漢字二字句のあり方について、学んだ事があると思います。
 簡単に復習しておきますと、
 ・上下が反対になっている(白黒など)
 ・修飾ー被修飾になっている(食事など)
 
 こういったモノの中に、「上下が同じ意味のもの」というのがあったと思います。
 これが「連文」です。上下が同じ意味の二字句を称して「連文」というのです。
 
 二字句が連文になっているということは、上下が同じ意味を有している、ということでもあります。
 これを応用すれば、意味がよくわからなくても「連文」を作り出すことで、その漢字の意味を明確にすることができる、ということでもあります。
 「訊」を考えたとき、「訊問」を通じて「訊」の意味は「問ふ」であることを指摘しました。
 
 このように、連文は難しげな漢字を、簡単な漢字に置き換え、意味を明確にする技法なのです。
 
 二字句が連文がどうか判断する方法は、そんなに難しいことではありません。
 身もふたもない言い方をすると、大抵の場合、慣れさえすればすぐに見分けることができます。
 でもそれでは……という人のために、ヒントをいっておくと、二字句にしてみて、二字句の意味と、加えられた文字の意味とが合致すれば、連文です。
 「訊問」でいえば、「訊問」という言葉は「質問する」の意味です。「問」の意味も「質問する」です。
 よって「訊問」は連文と判断されるのです。
 
 余談ながら追加しておけば、ここで「訊」と「質」とが結びつくことになります。
 「問いただす」は「問い質す」ともかきますが、ここから「本当にそれでいいのか?」と強く確認を求める意味があります。ここから「訊」にも同様のニュアンスがあることが推測されます。
 
 連文は慣れると非常に便利なテクニックです。 
 是非とも修得して、活用してください。
" dc:identifier="http://kyoukoku.hyakunin-isshu.net/2012%E6%BC%A2%E6%96%87%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%9C%AC%E8%A9%A6/2012%E6%BC%A2%E6%96%87%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%9C%AC%E8%A9%A6%20%E5%95%8F%EF%BC%91" /> -->

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